空飛ぶ広報室
□Warmth in this arm
1ページ/1ページ
「おかえりなさい」
「ただいま」
ほぼ電撃と言っていい結婚をしてから数ヶ月、空井とリカは東京と松島をお互いに行き来していた。
金曜日。業務を終えた空井はそのまま東京行きの新幹線に乗り込んだ。
リカは独身時代に住んでいたマンションにそのまま住み、空井が来たときはここで寝泊りをする。
「会いたかった」
「私もです」
ニコッと嬉しそうに笑うリカに二秒だけのキスを落とし、「もう」と真っ赤になって眉根を寄せる妻の腰に手を当て笑いながら部屋に促す。
「ご飯、出来てます」
「ホント?何も食べてないからお腹ペコペコで」
珠輝に仕事を任せられるようになり、リカ自身の負担もそれなりに減った。
今日も空井が帰ってくると知った珠輝が『あとは任せて下さい!!』と言ってくれたので早く帰宅することが出来、料理する余裕があった。空井が帰ってくる日に合わせて休みも取った。
空井から上着を受け取ったリカはそれをハンガーにかけ、空井用のチェストから部屋着を出す。
「これ新しいんじゃない?」
リカから部屋着のスウェットを受け取った空井は言った。
「うん。買い足しといた」
「ありがとう」
リカは空井が手ぶらでも上京できるように下着から普段着まで揃えてチェストにしまってある。
独身時代から住んでいるマンションとは言っても今は東京における二人の新居のようなもの。
結婚してから少しずつではあるが空井のものが増えていった。
歯ブラシも髭剃りも、空井のものは今、リカの部屋にちゃんとある。
リカにはそれが嬉しかった。
空井もまたリカの部屋に自分のものが増えるのが嬉しい。
ここが自分たちだけの空間だと言えるようで、この部屋に来る度に頬が緩む。
この部屋の名義は空井のものに書き換えた。
なので実際リカだけの部屋ではなく、東京における自分たち夫婦の部屋になっている。
松島の空井の部屋にもリカのものが増えた。
さすがに下着などは置いていっていない(くれない)が、洋服やパジャマなどは置いてある。
最近では化粧品も増えた。
「先にお風呂に入って下さい。その間にご飯の用意するから」
「うん」
既に勝手知ったる我が家のようだ。いや、実際そうなのだけど。
それでも結婚してからずっと住んでいるわけではない。
だけど来る度に自分の匂いが染み付いていって、リカも自分の為に心地いい空間を作ってくれる。
松島の部屋にもリカの匂いが染み付いてきている。
だから余計に帰宅したときに寂しさが募ってしまうのだけど。
風呂から上がると食事の用意が整っていた。
見るからに美味そうな料理の数々。
結婚した当初は料理が苦手なリカの為に空井も一緒にキッチンに立って、リカのおぼつかない手付きをハラハラしながら見ていたものだったが……。
「すごい!! 美味しそう!!」
「フフッ、頑張ったんだから。さあ、座って」
自慢気に胸を張るリカに空井は微笑んだ。
よくここまで上達したものだ。空井は胸中で感嘆していた。
「いただきます!!」
空井が自分の作った料理を美味そうに食べる姿にリカはニコニコしながら見る。
幸せだな。心の底からそう思う。
「ホント、すっごく美味しいよ」
「だってお義父さんのような人に教わったもの」
「おとうさん?」
「鷺坂さん。柚木さんとね、時々教わりに行ってるんです」
「そうなの?」
鷺坂の料理の腕は料理人のそれのようで、実際食したときは感動したものだった。
その鷺坂に教わっているのか。
「室長にはホントお世話もなります」
「ホントですよねえ」
空井たちが結婚できたのは鷺坂が弱気になっていた空井に発破をかけてくれたからだ。公私共に世話になりっぱなしだった。
「そう言えば大祐さん」
愛妻の手料理を幸せそうに頬張っている空井に、その愛妻が少し低音の声音で声をかけた。
「はい?」
「またしょうもないことしてるでしょ?」
「はい?」
「私のこと、『リカぴょん』とか皆さんの前で言ってるでしょ?」
「……え?」
バレてるっ!?
「……え?……なんで?」
目が泳ぐ。どこからそのことを知ったのか?
「わかります!! 北の方から悪寒がするから!!」
「へ?」
悪寒?
「それはいいとして!!」
リカはドンッとテーブルを叩き、空井はビクッと身体を震わせた。
「この間島崎さんに言われたんですよっ!! 『リカぴょん』って!!」
「あ……」
そうだった……島崎の前でも言ったことがあった。しかも結婚が決まってから今まで何度も。
今まで我慢していた分、箍が外れると惚気すら自制出来なくなっていることは自覚している。
でもまさか、バラされたとは……。
「もうっ、恥ずかしいじゃないですかっ」
この間松島に行ったとき、帰る間際に偶然会った島崎に『空井はリカぴょんって言って惚気てる』とこっそりと聞かされた。
あまりに恥ずかしくて怒鳴ってやろうと思ったが、リカが帰る間際ということで、まるで捨てられた子犬のように寂しげな空井の顔を見てしまうとついほだされて何も言えなくなってしまった。
だから今日言ってやろうと思っていた。
真っ赤になってプリプリと頬を膨らませて怒るリカを見て空井は『そんな顔も可愛いな〜』などと思ったことは口には出さない。いや、出したところでまた怒らせるだろうことは目に見えている。
「い、一回だけですっ、そんなしょっちゅう言ってません!!」
「……ホントですか?」
「ホントですホント!!」
本当は嘘だけど。リカの話になると『うちのリカぴょんは可愛い』とつい言ってしまうことはやはり口には出せない。
しどろもどろな空井にリカは疑いの眼を向けている。
そしてハア……と嘆息し、言った、というより叫んだ。
「いいですかっ!? もう二度と言わないで下さいっ!!」
「わかってます!! もう言いませんっ!!」
なんてことを言いつつも『また言うんだろな……』と心中で呟く。
それだけ可愛い。リカという存在がこの世にあるだけで幸せだと思う。
「じゃあいいです」
ニコリと笑うリカにまたも胸が熱くなる。
可愛い……どうしようもなく可愛い……。
プリプリ怒るリカも笑みを浮かべるリカも。
「やっぱり可愛いっ、うちのリカぴょんはっ!!」
「何っ急にっ!? てかやめてってば!! そのリカぴょんってのっ!!」
突然わけのわからないことを言い出す夫に真っ赤になりながらリカは怒鳴るように言った。
あ〜……怒らせるってわかってて言っちゃった。あまりに可愛くて、つい……。
二度と言わないと言ったくせに、舌の根も乾かないうちに言ってしまった。しかも本人の目の前で。
「たった今言わないって言ったばっかりなのにっ!!」
「ゴメンゴメン。可愛くてつい言っちゃった」
ヘラヘラと笑いながら恥ずかしいことばかり言う夫をリカは真っ赤になりながら睨みつける。
「もーっ、大祐さんのバカーッ!! 恥ずかしかったんだからーっ!!」
「ゴメンって。許して下さいっ」
よしよし、とプリプリと怒る妻の頭をニタニタとしながら撫でる。
幸せだなあ。心からそう思う。
「お願い。許して?」
リカの顔を覗き込む。
「…………許します」
なかなか会えないのに喧嘩なんて勿体ないし。
そう言う妻を抱き締める。すると妻も背中に腕を回してきた。
妻のぬくもりと柔らかさを堪能する。
一度このぬくもりを手離してしまったけれど、再び取り戻した。
もう絶対に手離さない。この腕の中のぬくもりは二度と手離さない。
空井は心から誓い、妻を抱く力を強めた。
end