踊る大捜査線

□The overflowing thought−あふれる想い−
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 あれから半日以上が経った。

 真下の息子が誘拐されたあの事件の後、すみれは病院に直行し、青島は事件の事後処理に追われ、二人は顔を合わせることが出来ていなかった。
 青島が湾岸署にいるときはすみれは病院、すみれが病院から湾岸署に戻ってきたときには青島は新たな事件で出払っていたりと微妙にすれ違っている。
 青島はすみれに話したいことがあった。だけど、会えずにいる上、電話をかける暇すらなかった。
 せめてメールでも、と思うが、その度に人に呼ばれる。
 ああ、身体がもう一つ欲しい。そんなことを思いながらも、とにかく面倒なことはさっさと片付けてしまえばいい、と業務に勤しむ。
 それでも、どんなに仕事に集中しようとしても、いつも頭の片隅にはすみれの顔。

 あのとき、今まで何年も曖昧にしてきたことが、はっきりと形を成した。


 ……そうだ。俺は彼女を手離したくないだけなんだ。


 傷付き震える彼女をこの腕に抱きながら、青島はそう実感した。

 今まで、あの瞬間まで曖昧にしてきた。
 近くにいるけれど決して近くはない距離を保ってきた。
 その距離はとても心地よかった。手の届く距離にあり、だけど近付きすぎない一定の距離。
 背中越しに、そして時には隣にあったその温もりは、いつでも力を与えてくれたのに。

 でも青島はすみれの変化に気付かずにいた。彼女の苦しみも痛みも、何も気付かなかった。
 そのことを彼は激しく後悔している。
 彼女が苦しんでいるときですら、自分のことと捜査のことだけで、彼女のことなど慮ってやれなくて。
 和久に知らされた事実と、不甲斐ない自分にただ動揺した。
 
 自分勝手だ。そう思う。
 青島という人間は事件のこととなると自分のことすら二の次にしてしまう。
 目の前に困っている人を見たら放ってはおけないくせに、一番近くにいるすみれの異変には全く気付かなかった。
 きっとそれはすみれに対する甘えから生じたのかも知れない。

 いつも傍にいる。そんな存在だった。
 軽口を言い合い、時にはお互いを励まし合ったり。とにかくどの存在よりも近くにいた。

 彼女さえ傍にいれば、別に伴侶や恋人などいなくていい。
 彼女がいるだけで、自分はこれほどに満たされていたのに。
 それは彼女も同じだと思っていた。

 だけど彼女は青島に黙ってここから去ろうとしていた。何の相談もなく。たった一人で。
 ショックだった。彼女の痛みも悩みも知らず、いつでもそこにいるものだと思っていたから。
 こんな風に自分の元から去ろうとしていた彼女の決意を、青島は想像もしなかった。

 いや、想像したくなかっただけなのだ。すみれがいなくなる。それはあのときのことを思い出される。

 すみれが血を流したあの事件のことを。

 あのときのことがあるから、余計にすみれがここからいなくなるなんてこと考えられるはずもなかった。考えたくもなかった。
 あのときのことは青島の心を大きく傷付けた。
 守れなかった。
 すみれの身体は自分の目の前で傷付いた。
 青島は自分自身を責めた。
 守るだなんて言っておきながら、目の前で撃たれた。
 それなのに自分のことよりも事件を優先して欲しいと懇願したすみれに、またも胸が痛んだ。

 わかってる。わかってるからすみれさん。俺が、俺が絶対に犯人を捕まえる。

 ―だから、死なないで。

 そう心の中で何度も叫んで、そして走り回った。犯人逮捕の為に。すみれの気持ちに応える為に。
 事件は解決した。すみれの命も助かった。
 だけど、結局はあの事件が元で今回すみれは刑事を辞めようとしたのだ。

 今もあのときの傷と戦っている。あの事件はすみれの中ではまだ終わっていないのかも知れない。
 
 自分も、その傷を背負いたい。その痛みを自分のものにしたい。
 
 青島はあのとき、バナナ倉庫で震えるすみれの華奢な身体を抱き締めながらそう思った。
 自責の念ではない。すみれを苦しめる全てのものから守り、その痛みを共に背負っていきたい。そう思った。
 
 今まで誤魔化してきた想いが溢れ出す。
 彼女が誰よりも大事だと、ずっと傍にいたいのだと、その思いが『辞めないでくれ』という言葉になって出てきた。
 だけど、本当に言いたい言葉はそれじゃない。
 こんなときにでも誤魔化すなんて、本当に不甲斐ないと思う。
 もっとはっきりと、本当の気持ちを言うべきだった。
 彼女を困らすことになろうとも、もうこの気持ちに嘘は吐けない。

 会いたい。彼女に会いたい。
 会って言いたいことが山ほどある。
 曖昧にしてきた彼女への想い。
 それをはっきりと口にするのは今しかないのではないだろうか。

 青島は署に戻って来ると係の部下たちに「ちょっと野暮用」と言ってそのまま屋上へと足を向けた。部下たちも何か感じているらしく、「こっちのことは任せて下さい」と言ってくれた。
 そんな部下たちに感謝しつつ、青島は屋上へと急ぐ。

 彼女はここにいる。
 根拠のない自信。漠然とした確信。
 だけど、絶対にここにいる。
 そう感じた。

 屋上の扉を開ける。
 夕焼けを浴びるその小さな姿。
 ずっと、ずっと求めていたその姿。

 彼女はそこにいた。
 
 一瞬、息をするのを忘れてしまうほど、その光景が幻想的で。

 こんなにも彼女は美しく、儚げだったのかと思い知らされた。

 抱き締めたい。
 この腕に閉じ込めたい。
 もう二度と、逃がさない。

 青島はその姿に近付く。

 ―すみれさん……ずっと、俺の傍にいてくれ。

 今から君に伝えよう。

 今まで誤魔化してきた気持ちを。

 君を心から大事に想っていることを。

 これからもずっと、隣りに、背中合わせにいたいと思っていることを。

 刑事としてじゃない。君を幸せにしたいと思っている、ただの男だということを。


 end
 

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