踊る大捜査線

□Christmas card 〜S ver.〜
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 それはこっそりと、彼のデスクの引き出しの奥底に忍ばせた。


 あの日、警察官を辞めようとしたあの日。
 署を出る前に係長に『メリークリスマス』とメモを貼ったカップラーメンを置いてきた。

 そしてもう一つ、誰にもわからないようにこっそりと、青島くんのお世辞にも整理整頓がなされているとは言えないデスクの引き出しに一枚のクリスマスカードを忍ばせた。

 あたしの名前と同じ、すみれ色のカード。

 彼は気が付くだろうか?
 気が付くとすればその日のうちに気が付くだろうし、気が付かないとすれば彼があの席から動かなければならないそのときまでそのままなのだろう。

 それは最後のクリスマスプレゼントのつもりだった。
 彼にとって迷惑になるかも知れないけれど、あたしの想いを込めた最後のクリスマスプレゼント。
 
 あの日、バスで突入したあの後、あたしは病院へ直行した。
 そして病院まで来てくれた魚住課長からまだ辞表は受理していないこと。室井さんの計らいでバスのことも捜査の一環とされたこと。ただ事の重大さもあり、始末書と謹慎を命じられた。

 バナナ倉庫で青島くんに『辞めないでくれ』と言われて、自分の中の後悔が更に湧き上がってきた。
 
 やっぱり刑事を続けたい。どこまで出来るかはわからないけれど、出来る限り。
 それにあれだけの事態を引き起こした責任もある。その責任を取らない限り悔いは残る。
 その思いを課長に告げると、課長は微笑んで『安心したよ』と言ってくれた。

 あと何年、いや数ヶ月しか続けることが出来ないかも知れないけれど、そのとき後悔せずに納得できていればいいと思う。

 事件の事後処理を済ませ、病院まで迎えに来てくれた青島くんにとりあえず辞めないことを告げると『よかった』と言ってはくれたけれど、どこかまだ不安を残したような翳りを見せた。

 それから青島くんは何かにつけて電話やメールをしてくる。

『お疲れすみれさん。今日は何してた?』
『別に疲れていないわよ。うちにいただけだから。お疲れなのは青島くんの方でしょ?』
『そっか。でもすみれさんの声を聞いたら疲れも吹っ飛ぶよ』
『よく言うわよね』
『ホントだって』
『さあどうだか?青島くん、そんなセリフどれだけの女の子に言ってるの?』
『言ってません!人をろくでもない男みたいにっ!』
『こりゃ失敬。でも交通課の女の子たちと一緒に仕事したとき鼻の下伸ばしてたって聞いたけど?』
『伸ばしてません!』
『ガン見禁止。罰金五千円!』
『なんで知ってるのっ!?』
『何故かあたしに苦情が来るのよねえ。『青島さんにスケベ親父みたいな目で見るのは止めてって言っておいて下さい』って』
『……何てこった……』
『恐いわよねえ〜?どこで洩れてるかわからないわよ』
『違うからね?見てないからね』
『あたしに言い訳しなくてもいいわよ』
『すみれさ〜ん』

 取り留めのない話だけど、それだけで何故か満たされた。
 
 自分にとって彼の存在は必要だったのに、どうして黙って離れようと出来たのだろう。
 でも今はそれすら出来そうにない。

『じゃあおやすみなさい。明日も頑張ってね』
『あ、うん、ありがと……すみれさん、あのさ……』
『なに?』
『ううん、なんでもない……おやすみ』

 電話を切るとき、彼はいつも言葉を濁す。何か言いたそうで、でも言い辛そうな感じで。

 何を言いたいのか何となくだけどわかる。きっとそれはあたしも同じだから。


 あのとき、彼に残したクリスマスカードに綴った想いは、彼のところに置いていくつもりだった。

 そのメッセージに彼が気が付かなければ、それはそれでいいと思った。
 気が付かないまま時が過ぎても別にいい。それでも自分の想いはそこに残るだけ。
 今までと同じように、ただ時が過ぎるだけだっただろう。


 クリスマスイブ。
 
 世間では家族や恋人同士で過ごすのだろう。だけど今のあたしにはそう出来る存在はいない。
 世間がクリスマスムードであろうと、あたしには関係ないことだと思っていた。
 今までだって刑事という仕事をしてきたのだ。忙しくてクリスマスなど関係なかった。
 一度だけ撃たれたあのときだけ、のんびりとしたクリスマスを過ごすことが出来た。だけど、やっぱり走り回っている自分の方が自分らしいと青島くんと笑い合った。

 青島くんは今日も仕事で、定時で帰れるかわからないとぼやいていた。

 一人アパートで過ごす。普通の日と同じように。
 ただ違うのは、少しでもクリスマス気分を味わおうとケーキとシャンパンを買った。
 謹慎中に不謹慎だとは思ったけれど。

 定時過ぎ、青島くんから電話があった。
 今日は忙しくないのかしら?と思いながらも、どうせ休憩中だろうと思って電話に出る。

「すみれさん……」

 何だかいつもと様子が違った。

「青島くん、お疲れさま」
「うん……ねえ、すみれさん」
「なあに?」
「あのさ……俺も同じなんだよ」
「何が?」
「こういうことは俺から言うべきだった……」
「何のこと?」

 きっと気が付いたのだろう。あれに。

「何のことって……引き出しの奥の……」
「何のことだかわからないわ」
 少し笑いながら嘯いた。何のことか知っているくせに。
「あのカード。すみれさんでしょ?」
「カード?」
「また……しらばっくれて」
「何で?あたしだって言うの?」
どこまでも知らぬ存ぜぬを決め込む。
「カードって、あたしの名前でも書いてたの?」
 名前など書かなかった。わざと書かなかった。
「書いてなかったけど……俺がすみれさんの字を間違えるはずないでしょ?」

 その言葉に心臓が跳ねる。
 ほんの些細なことなのに、自分だと確信を持ってくれていることが嬉しくて。

「そうかしら?」
 それでも誤魔化すように素っ気なく言う。まったく素直じゃないと我ながら呆れる。
「そうだよ。俺がすみれさんの字を忘れるはずがない」
 自信満々に言う。

 本当はわかっていた。
 名前など書かなくても彼なら気が付いてくれると思っていた。

「それにさ……」
 青島くんは少し間を開けて言った。

「あの言葉知ってるの、もう俺とすみれさんだけだろ?」

 あの言葉。それはあたしがクリスマスカードに書いたメッセージ。
 その言葉を聞いたのはあのとき医者と看護師、そして、今は亡き和久さん。

 でもきっと、この世で今も鮮明にあの言葉を覚えているのはあたしと彼だけ。

「俺だって、同じなんだからね。やっぱり俺から告げるべきだった」

 その言葉に胸が高鳴る。無性に彼に会いたくなる。

 そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか彼は言った。

「ねえすみれさん。今から会いたい。会って直接言いたい」

今度こそ素直に。

「……うん……あたしも……」

 カードではなく。自分の言葉を彼に告げたい。


 クリスマスカードに書いたメッセージ。
 それは。


『メリークリスマス やっぱり愛してる』


 end

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