踊る大捜査線

□Tranquilizer-精神安定剤-
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 ―真っ青な空の下。

 ―銃声。
 
 ―悲鳴。

 ―そして、血飛沫と共に舞う彼女の身体。

 
 ハッとなり目を覚ます。
 額に手をやると汗が滲んでいる。
 師走のこの時期にこんなに汗を掻くなんて。

「青島くん?」
 その声の方を向くと窓辺で外を見ていたはずのすみれさんがこちらに顔を向けていた。
「どうしたの?」
「……ん……なんでもないよ。ちょっと嫌な夢を見ただけ」
 すみれさんは視線を窓の外に戻し、
「どんな?」
 と聞いてきた。
「……すみれさんが100人くらいいて、一斉に『奢って』って言う夢」
「どこが嫌な夢なのよ」
 あたしが100人て光栄じゃない?と憮然な顔の彼女に苦笑する。
「ちょっとした命の危険じゃん」
「何ですって?」
「こりゃ失敬」
 おどけて言うと、すみれさんは一睨みした後、再び視線を窓の外に戻した。
「……んで、何の変化もなし?」
「ないわね。平和そのもの。たまぁに酔っ払いが通る程度よ」
「長期戦かなあ……」
「かもね」
 
 現在、連続暴行事件の被疑者の実家を張り込むために俺とすみれさんは『夫婦』としてこの商店街に囮の店を出している。
 日中はこの唐揚げ屋を営む俺たち夫婦と、従業員に扮した和久くんと共に店から被疑者の実家である喫茶店を見張り、且つ地域の人から情報を得ているのだが、夜は交代で二階の六畳間で張り込んでいる。

「青島くん、交代したばっかりなんだからもう少し寝たら?」
 隣を見れば和久くんが熟睡している。
「……そうしよっかな」
「そうしなさい。仕込みもあるんだから」
「だね。おやすみ」
「おやすみなさい」
 すみれさんは一度こちらを見て優しく微笑んでから、窓の外へと視線を移した。

 こういうところに刑事としての彼女を見せつけられる。
 少し視線を外してもすぐに対象物に視線を戻す。
 居眠りもせずに、対象者を見逃さないように。

 昼間は唐揚げ屋の店主夫婦であるが、今は刑事に戻っている。
 店では夫婦らしく『すみれ』『俊ちゃん』などと呼び合っているが、刑事に戻ると呼び方も話し方も何もかもいつも通りに戻る。

 店がないときも素が出ないように出来る限り『夫婦』を演じるようにしてはいるが、やはり商店街の人たちの目がなくなるといつもの自分たちに戻ってしまうのは長年の積み重ねだからか。
 
 まあ少し、勿体無いような気もしなくもないのだが……。

 彼女はいまは完全の刑事の目に戻っている。唐揚げ屋のおかみさんの『すみれ』ではなく、刑事の『恩田すみれ巡査部長』に。


 彼女に気付かれないように、そっとその横顔を覗き見る。
 カーテンの隙間から洩れる月明かりに照らされてとても幻想的で綺麗だ。
 白い肌も、黒い髪も、まるでこの世のものではないのではないかと錯覚させられるほどに。

 そう思った途端、先程の夢を思い出して心臓が跳ねた。

 彼女には誤魔化した。本当は彼女に話したような夢など見ていない。

 本当はあのときの夢。ここ久しく見ていなかった、彼女を永遠に失ってしまうのではないかと思ったあの忌まわしい日の夢。

 彼女が被弾して暫くはよく、いや、眠る度に見ていた。
 
 この腕の中で息も絶え絶えで、血に染まり、真っ青な彼女の顔。

 そんな夢を繰り返し見ていた。

 彼女が退院し、現場復帰する頃には見なくなっていたけれど、それでも年に数回は見ることがあった。

 その度に携帯を手にし、その存在を確かめようと通話ボタンを押しそうになるのを何とか推し止めた。

 今はすぐ傍にいて、その存在を感じることが出来る。だけど、この妙な胸騒ぎはなんだろう。

 月明かりに照らされる彼女はとても幻想的で美しい以上に、何だか儚げに見える。

 自分から離れて、どこかへ行ってしまうような錯覚すら覚える。

 あのとき、この手から零れ落ちてしまうのではないかと一瞬でも思った命は、確かに取り戻せたのに。
 なのに妙に不安が募る。


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