※幼少期捏造









オレじゃダメかな、満たされないかな、そう言ったお前を殴りたかった。







「…やぁ、いらっしゃい」
「、どうも」


既に顔見知りとなってしまった受付に座る警察官が小さく苦笑いを浮かべ、奥の部屋の椅子を勧めてきた。逆らう理由もない為素直に椅子に座り、直ぐに携帯を取り出す。誰でもいいから迎えが来なければ、此処から出られないのだから連絡は早い方がいい。
放任主義の家族へと、何度目になるかわからない日常と化した用件で電話をかける。呼び出し音がダラダラと繰り返されるのが不快だ。今日はなかなか繋がらない。いや、最近はずっとこんな調子だったように思う。
小学生ながら、補導歴だけならば札付きの不良共にも引けを取らない為、家族も初めこそ少し慌てていたものだが、如何せん、毎度若さと過剰防衛という理由から注意を受ける程度に止まるオレに対する扱いはあまりに軽かった。悪いことをしていないなら構わない、と胸を張った父親も、遊びたい盛りなのはわかるけど加減しなさい、と呆れてみせた母親も可笑しかったが、姉に至ってはやるなら半端にしないで息の根を止めるまでしっかりとやりなさい、愚か者、と力一杯叱りつけてきた。そんな家族だった。


「…はい、もしもし、辰巳?」
「、暇?」


携帯からかけているのだから、いちいち確認する必要なんかないだろうに、暢気な母親は穏やかに笑っている。それを無視して会話を続けようとすれば、母親はやはり暢気にあらぁ、誰かに変われる、と更なる無視の姿勢で尋ねてきた。所詮親子ということか、と早々に会話を諦め、近くにいた此方も馴染みの警察官に無言で携帯を差し出した。
いつもお世話になっております。あの、大変心苦しいのですが、仕事が長引いておりますので、もうしばらく預かっていてはもらえませんでしょうか。不肖の息子ですが、よろしくお願い致します、と悪びれの無いからりとした明るい声が受話器から洩れ聞こえた。緊張感のなさ過ぎる母親には、息子ながら呆れるしかない。当然、延長保育を頼むような手慣れた遣り取りに担当の警察官も呆れていた。







「…い、はい、そうです。すいませんでした」
「いやいや、構わないよ。男鹿君から仕掛けたわけじゃないしね。それにしても、君はいつも本当にしっかりしてるね」
 

迎えが来るまでの時間を何をすることもなく、ぼんやりと窓の外に輝く眩しいだけの緋色を眺めていれば、誰かと話す担当の警察官の穏やかな声が聞こえた。
受付の警察官と違い、毎度オレの担当を任される少年犯罪担当の一人である警察官は人間的にはまともなようだが、典型的な悪や暴力に嫌悪を抱く性質のようで度々訪れるオレには割と厳しい。世話になる度に、例え君が悪くなくともその歳から警察の世話になるのは良いことではない、将来が心配だ、なんでも大人に相談しなさい、等とよく小言を聞かされていた。しかし今は、平生が嘘のような穏やかな声音で会話をしているようで、思わず視線を漂わせる。
小言が多い生真面目な警察官の隣に、馴染みの銀色が見えた。


「、古市」
「ほら、帰るぞ」


呼び掛けに緩く微笑みながら差し出された手に、理由も無く少しだけ泣きたくなった自分が恥ずかしい。迷子の餓鬼のようだ。誤魔化すように視線逸らすと、ついでのように疑問が生まれた。なんで古市が迎えに来てんだ。今までにもオレが補導されたことを男鹿家に伝えると共に迎えに付き添って来たことのある世話好き、というよりも苦労症の幼なじみだが、何分同い年であり、今日のように一人で迎えに来ることはなかった。
口に出したわけではないが、オレの疑問は顔にすっかりと出ていたらしく、古市は何でもないことのように真っ直ぐに視線を合わせて自然に応えた。


「今日はお前ん家、みんな遅くなるって伝えに来ただけ」


頼まれただけだよ、と言い足した古市は困ったような表情をして微笑った。何の確証もないが、きっと頼まれてなんかないんだろうな、と思った。







「よく出してくれたな、アイツ」


生真面目な担当警察官の気持ちが悪いくらいの穏やかな声音を思い出しながら言ってみた。けして今ここに存在する二人きりの雰囲気が険悪だったわけでも気不味かったわけでもなかったが、小学生が歩くには暗過ぎる闇色の上を流れる人工的な光が騒がしくて、煩わしくて、思い付いたことを口にしてみたのだ。ただ、それだけのことだった。
そんなオレの言葉に、幼なじみは手慣れたような態度で答えた。
 

「男鹿は何にも悪いことしてねぇし、今回の相手は高校生だったし、まぁ、男鹿は常連だからな」
「、ジョーレン?」
「…、未成年だからってことだよ、大人じゃないってだけ」
「古市には言われたくねぇ」
「オレも男鹿には言われたくない、ってか、そういうんじゃないし」


そう言った古市はオレの何だかわからない気持ちを理解してるみたいに微笑って答えた。微笑う綺麗な横顔に、きっと本当は何にも理解ってなんかいないことにしたいんだろうな、と思った。
なぁ、男鹿、と今度は古市の方から声を掛けられる。


「強い奴はさ、腹一杯の時はどんなに喧嘩ふっかけられても、絶対に買ったりしないんだよ」


唐突な言葉に、怒ってんのか、と聞いてみた。喧嘩ばかりの幼なじみを小学生ながら警察署まで迎えに行く手間を考えれば、愛想を尽かされても文句は言えない。そう考えて尋ねたのだが、古市は他のどんなモノよりも自然に感じる、あまりにも人工的に綺麗な微笑みと共に囁いて返してきた。


「怒らないよ、だって」


純粋過ぎて、いっそ穢らわしい、光で濁った淡い透明に近い、そんな銀色が闇に浮く。唇は寂しげに弧を描く。
応えなくたっていい、と言ってやれば良かったと後悔するのはほんの二秒後のオレだった。


「男鹿は、満たされてないんだろ?」


そんな物分かりのいい、大人みたいなことを言いながら、オレじゃダメかな、満たされないかな、そんな弱々しい言葉を投げ掛ける眼差しが煌めいている。夜に浮かぶ銀色みたいに潤んでいる。
それから、全部無かったことにするみたいに微笑って、行こう、だなんて妙に明るい声と共に背を向けた。少しだけ足早になって、夜へと逃げているみたいだった。



こんなに近くにいるのに、何が不安なんだ、そう言ってやりたい喉は震えず、薄い背中に手を伸ばすことも出来ない。
伸ばす勇気がない手で、オレじゃダメかな、満たされないかな、そう言ったお前を殴りたかった。その寂しいだけの眼差しを消してしまいたくて、お前を殴りたかった。





殴ることしか知らない拳が厭に小さく見えた。





















 

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ