※病み愛





綺麗な雫がはらはらと散る。
万人の同情を誘うだろうキレイな綺麗な泪は明日になればけろり、と渇くと知っている。


目の前で自分の膝を借り、子どものように涙する幼なじみは、またフられたらしい。
今度の相手は厭にディープな奴だったな、と泣き喚く愛おしい幼なじみの代わりに元彼女を思い出す。

三十分に一回の五行以上のメールと三時間に一回の十分以上の電話に、毎日のデートという名の送り迎えが最低限必要だった女を思い出せば、眉間の皺が深くなる。何人もの女と付き合ったことのある女好きの幼なじみではあったが、その歴代の彼女の中でも、アレ程までにオレ達の、二人の時間を邪魔した女はいなかった。

何処までも恋人の自由を許さない女だった。

何処かへ出掛けるどころか部屋の中を移動するだけでも報告が必要な女だった。教室の席を立ってトイレに行き、帰ってくるという動作、自室のベットから起き上がり本を取りに歩くという動作、そんな日常的動作の報告さえ必要とし、怠ればその日中に平手打ちをしに来て泣き喚く女だった。

近年話題のブログ中毒者と携帯中毒者を足して百を掛ければ、あの女になったりするのだろうか?

恋人の言動に不満があれば、一分ごとに同文の恋人を責めるメールを、十分に一回程度の無言電話を、髪の毛入りや血文字の呪いめいた気味の悪い手紙を送り付けてきたりする、そういう疎ましい女だった。


しかし、あの女も異常だと思っていたが、アレに付き合っていた古市も十分に異常だとも思った。流行りのヤンデレなんかじゃ済まない、なんて思ったりもした。



そもそもヤンデレって何だ。好きな奴が病んでる時点で何故心配したりとか出来ないのだろうか。

可愛いとかふざけんな、とオレは思う。
愛情表現なんてものは個人の自由ではあるのだが、そこに愛があれば病んでようが何だろうがどうしたっていいと言う奴は、最後まで責任を果たせ、周囲に異常を漂わせるな、と思う。比較的一般人な自分にはヤンデレの正式な定義などというものはわからないが、わかったとして、理解なんか到底出来ないと思う。その道のプロがいたとして、いくら熱心に説かれたとしても相手の頭の具合に疑問を抱くだけの自分が容易に想像出来て、いっそ馬鹿馬鹿しい。
 


その病んだ馬鹿馬鹿しさに付き合える馬鹿な人間が近場に居るだけに何とも言えないが、腹に顔を埋めて泣く幼なじみの頭を柄にもなく、出来るだけ優しく撫でてやる。
そんなことしか、オレには出来ない。





なぁ、フられた時だけオレに縋る馬鹿野郎。


早く気付けよ、オレの愛に。



そんなよくわからんその他大勢なんて、どうでもいいだろ?お前に付く虫潰してるうちに、もう何年経った?あと何匹潰したら気付くんだ?

お前さえオレの愛に気付いたら、一生傍に居て、狂うくらいに愛してやるのに。





なぁ、こういうのって、トウダイモトクラシって言うんだぜ?阿呆の古市。




















 

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