小さな画面を見つめながら、カチカチ、カチ。始終、携帯ばかり相手にしている古市が面白くない。何をしようが自由な時間と空間ではあるのだが、また女か、と思ってしまう。

古市の女好きは今更とはいえ、酷いものがある。

語弊がありそうだが、古市は「良い女」にだけ反応するわけではない。女ならば「普通」でも良いらしい。好きだと言ってきた女とは殆ど付き合うし、女というだけで漏れ無く優しくする。側に居てくれるなら誰でもいいみたいに見える。
とっかえひっかえ、とまではいかないが、長続きした女は少ないし、古市自身、それをまったく気にしていないのがまた酷いと思う。

カチカチ、カチ

耳を澄ましてようやく聞こえてくる微弱な動作音は、嫉妬故の幻聴だろうか?誰にも奪られたくないモノが背を向けて、歩き出す足音のようだ。
古市は見知らぬ誰かでもいいから繋がっていないと不安なのだろうか。だから、携帯なんて物に縋るのだろうか。

こんなに近くにオレがいるのに?


「古市」


何だか酷く頭が痛くなって苦し紛れに名を呼べば、ん、と短い返事が顔すらも向けられずに洩れ出た。心地良いその音は、いったい誰のモノなんだ?


「古市」
「なぁに?」


その滑らかな白い肌に覆われた魅力的な肢体は?


「古市」
「何ってば」


その艶やかな銀色の髪から覗く蠱惑的な視線は?お前の全ての言動は今、いったい誰のモノなんだ?


「古市、古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古市古「送信っ、と何?」い、ち」


軽い返事と共に、あれだけ熱中していたはずの視線は存外容易に携帯の画面から離れ、オレと向き合った。


「、やっと、こっち見たな」
「ん、メール終わったからな。何?」


何も知らない無垢な古市を、いっそ嫌いになれたらよかったのに、と思う。好きって汚い。オレだけが穢い。


「何でメールしてんだ?」
「予定知らせようと思ったから」
「何で予定知らせる必要があるんだ?」
「デートしたいから」
「何でデートしたいんだ?」
「幸せ気分になりたいから」
「何で幸せ気分になるんだ?」
「彼女に会えるから」
「だから、何で幸せ気分になるんだ?」
「は?」
「おかしいだろ」
「何が?」
「オレ以外といて、何で幸せ気分になれるんだ?おかしいだろ?」


そう、おかしい。古市の応えは正しいけれど、その答えは不正解だ。世論が何と言おうとも、それは不正解でなければならない。
理解されるはずもないのに、そんな愚かな正解を信じるオレも馬鹿だが、目の前でああ、と頷く古市も馬鹿だ。理解出来ないことを知った被る奴はモテないぞ、アホ古市め。
どうしようもない思いだけが胸に巣くって堪らないのを、深く息を吐いて遣り過ごした。


「もっかい」


鼈甲飴みたいな色の声がした。
古市だけの音だ。聞き慣れた、耳に心地良い音だ。嗚呼、琥珀色といったかもしれない。基礎的学力も不安なオレでは、当然、国語も美術も専門外で、唯一無二のこの音を言葉に表せやしない。
ぼんやりと、届けられた声に浸っていれば、もっかい、と眉間に皺を寄せながら、不機嫌に繰り返された。確かに返事はしなかったが、聞いてなかったわけじゃないんだから、そう不機嫌にならなくたっていいものを、これだから古市は可愛いんだ。オレだけのモノだったなら、どれだけ素直にそう思えたのか、だなんて馬鹿なことを考えながら、少しだけ億劫そうなフリをして返した。


「…、何が?」
「もっかいきいてくれ」


好きって汚い。オレだけが穢い。それが悲しいオレが嫌いだ。何も知らない無垢なだけの古市は、ちっとも悪くないのに、厭に声が尖るのは八つ当たりだ。


「何を?」
「今の流れ全部」
「は?」
「早く」


好きって汚い。オレだけが穢い。古市の考えてることがわからない。繰り返して何になる?古市が何処かの誰かのモノだと知って、寂しくなるだけだ。
好きって汚い。オレだけが穢い。寂しくなるってわかっていながら抗えないのは古市を好きだからだ。堂々巡りだ。


「、何でメールしてんだ?」
「予定知らせようと思ったから」
「何で予定知らせる必要があるんだ?」
「デートしたいから」
「何でデートしたいんだ?」
「幸せ気分になりたいから」
「何で幸せ気分になるんだ?」
「彼女に会えるから」


堂々巡りだ。これ以上繰り返して何になる?オレが穢いってだけだ。オレが寂しいってだけだ。堂々巡りなだけだ。オレが古市を好きってだけだ。堂々巡りだ。


「男鹿、続き早く」


急かす古市の声も、視線も、全てが今だけはオレのモノだ。今だけ、今だけ、どんなに苦しい思いをしたって今だけしかオレのモノじゃない。
堂々巡りの愚かで穢い子ども染みた好きは、オレを渇かす。綺麗な古市は銀色で、砂漠の夜みたいだ。砂漠の夜は寂しく冷たく、渇いていくものらしい。古市はちっとも悪くないけど、渇いていく方からすれば、死にたいくらい寂しくて冷たい。


「彼女に、会えて、何でお前は…、オレ以外といて、何でお前は、幸せ気分になれるんだ?」
「男鹿がオレを欲しがるから」
「、…        は?」


古市は真っ直ぐな瞳に馬鹿な男を映していた。白銀の澄んだ、綺麗な瞳で、唯々穢らわしいだけの漆黒を映し出していた。
桜色の唇で弧を描いて、柔らかく微笑っていた。


「おかしいだろ?」
「、何が?」
「男鹿以外といれば、男鹿からいっぱい連絡きて、男鹿がオレを欲しがってるって思い込んで…、オレは幸せ気分になれるんだ。おかしいだろ?」


呆けているオレを後目に、携帯ってスゴいんだぞ、と古市は微笑った。白銀の視線は手元に落ち、右手に握られた小さな機械を捉えている。
話の意味も流れも全く理解出来ずにいるオレの少し残念な脳は、愛おしそうに、喧嘩を知らない綺麗な手が携帯電話を包み込んだことだけを知らせていた。


「携帯は人間に備わった微弱な電波でさえ、拾えるんだぞ」
「…、そう、なのか?」
「うん、拾えるんだ。だからさ、」


いつか男鹿の電波を直接拾えたらいいよな、そう言って古市は愛おしそうに、喧嘩ばかりのオレの眼を見て、綺麗に微笑った。


「、アホ古市」





そんな微弱な電波周波数が合うのを待つよりも、お前は、寂しいのだとオレを叱ってくれればいいんだ。





















 

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