「お兄さん、買わない?」


小首を傾げた仕種と共に白い頬を滑る銀髪が煌めいて、桜色の唇と琥珀色の声音が厭に甘やかに感じる。


「先着一名様だけの限定品」
「下世話じゃねぇか?俺が買わなきゃ違う野郎のモノになるんだろ」


本来、民家の玄関を照らす為にあるはずの凡庸で人工的な光に淡く半身を浸した白い青年を壁に押し付け、その首筋に黒い青年は歯を立てた。口から零れ落ちた言葉とは裏腹に所有を望み、独占の意を表す不粋な痕が残る。白い青年は野暮な痕を気にすることもなく、自らの腰を抱く黒い青年の背中に手を伸ばしながら微笑った。喉の奥でおかえり、と鳴いた声には無視をした。


「まさか、限定品って言ったろ。今買わなきゃ明日に持ち越し。でも今買った方が断然お得だと思うけど?」
「…、何で?」
「お兄さんが傷付けたから…、鮮度、時間が経つ度にどんどん落ちてくだろ?」


傷付けた、とは何処の傷を言っているのだろう、と霞がかった思考で考えながら、黒い青年は白い青年の上着を僅かにはだけさせ、肩口に口付けた。何時からいたのか、冷えた薄い肩は夜風に負けて微かに震えていた。黒い青年の脳裏にはふと、自分は玄関先で何をしているのだろう、と至極常識的な思考が過ぎったが直ぐに霧散した。常識等という柵は必要がない。今この時に必要な科白は一週間前のあの日から決まっていた。


「責任取れってか?」


そう言った黒い青年に兎の肉を食いちぎる狼の牙があることを白い青年は何年も前から知っていた。誘うように頷いた白い青年が狼の肉さえ食い破る罠を持っていることを黒い青年は何年も前から知っていた。二人は互いの隠し持った凶器に気付いていたし、何時か使うことになるだろう相手が互いであることさえ知っていた。
ただ、つい一週間前まで、その凶器を使う機会が訪れなかったという、ただそれだけのことなのだと二人は愚かにも知っていた。





夜風の冷えた手に撫でられ震える白い肌が許せなくて、黒い部屋へと誘った。飛び込んだ部屋の闇は黒い青年の領域で、夜のような息遣いだけが潜んでいる。白い青年が喪失感に苛まれた三つの取り合わせが一週間前からは変わっているが、今の青年が抱く安心感はそんな安易なものに支えられているわけではなかった。
暗がりに浮く濡れた漆黒の眼差しは獣のように獲物を求め、柔らかな檻のような腕で薄い背中を抱き込めば、真白な首筋を晒しながら古市は擽ったいと言って身じろいだ。小さな抵抗をする古市に構わずに耳元へと唇を寄せると、男鹿の漆黒の髪を緩く掴まれる。それが抵抗などではなく、獣の仔に見られる戯れ食いの類であることを男鹿は知っている。


「何でいつもお前が先かな」


静謐な月光に映える首筋に深く主張する噛み痕に舌を這わせ、朧気に声帯を震わせたのは何時かの黒い癇癪玉である。


「今更仕方ないだろ、お前は買い専なんだからさ」
「…、だとしても売ってんじゃねぇよ、勿体無ぇ」
「それも仕方ない」


何時かの白い行き止りは、何故、と問う黒い眼差しに微笑む。


「売り買いってのは等価じゃなきゃ成立しないだろ?」
「釣り合わねぇよ、阿呆」
「「幼なじみだからってずっと傍にいる必要なんてなかった」、「幼なじみだからって、これだけ一緒にいる方が珍しい」だっけ?」


獣の腕に縋りつきながら、微睡むように目を細めた古市は一週間前に腕の主が零した言葉を繰り返した。男鹿は抱き込んだ獣の温かさに思考を溶かしながら繰り返された一週間前の己の言葉を聴いていた。


「幼なじみだからじゃねぇよ。男鹿だから、だ」


他人との比較なんていらない、お前さえいてくれればいいよ、と囁く眼差しに、今更だ、と返す眼差しは熱を帯びている。二匹は傷付けられること等怖くはなかった。ただ自分が持つ凶器が互いの身を裂くことが恐かった。凶器を使うことになる何時かが、それぞれの自己嫌悪に溺れた刻であろうこと等随分と前から知っていた。


「それで等価だってんなら、安いもんだ。全部くれてやるよ」


絡めた指からじわり、と広がる熱に、二人はこの身は今、生きているのだ、と思った。脆い足場、定まらない立ち位置、滑稽な程虚ろな自己、寂寞とした自己投影は二人だけの影踏み鬼のようだ。存在を確認し合わなければ己さえも成り立たせることが出来ない。
くれてやる、という言葉に間違いはなかった。二つの存在である二人の身体は当然全て二対用意されているはずだから、だ。しかし、二対は二対と言うにはあまりに距離を置かずに存在していた。掻き出された腑が混じり合い、肉体も、傷も、傷みもどちらのモノかわからなくなる程だ。自己嫌悪等という下等な感情さえ己の身には向かわない。二つは本能のままに混じり合い、二つであることは容易ではなかった。


「、古市」
「男鹿」


口にした名の愛おしさに、胸が軋んだ。
鼓膜を揺らす音の幸福に、酔い痴れる。









呼吸、体温、心音、生物の生命維持機能が働き出す。大人びた戸惑いに埋もれながら、互いを愛していなければ生きていくことさえもままならないのだと、二人は知っている。















どんなに世界が満ち足りていて麗しくとも、残酷な程に無邪気な僕の生きる糧には、君しか要らない





















 

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