天気は快晴、天然の青が眼に眩しい。しかし男鹿の自室のみは数日落雷ばかりだった。泣き喚く赤子に男だろ、と叫ぼうとしたが発する前に言葉の浅ましさに気が付いて呑み込んだ。代わりに口から洩れた舌打ちは妙に腹立たしかった。



決別というにはあまりに軽く拙い、日常の一刻を切り取っただけの別れは、二人を一人にした。
翌日から古市は何も言わず、一人で行動した。石矢魔という荒れ野において古市のような存在は兎にも満たない小さな肉塊だ。どう扱われようと、どう喰い物にされようと対した抵抗も出来ぬまま踏みにじられるだけの存在でしかない。初日など酷いものだった。今までは男鹿がいない古市をからかっても無言の対応しか見せない為、後が怖い中堅程度の下級生は手を出すまでには至らなかったのだが、今の古市は男鹿とは友人でなくなった自らが良いカモであることを馬鹿正直に答えた。訳もなく自分への興味も保身の意思もなく、何もかもが自分の思い通りにならなければいいと思っていた。当然、無抵抗の古市は言葉通り良いカモにされた。しかし、二、三日もすると古市に絡む不良はいなくなった。普通の不良ならまだしも、石矢魔の不良ともなれば、どれ程せこかろうが弱かろうが石矢魔の不良としての誇りがある。古市のような一般人に対し無闇に手を出すことは小者の証にしかならず恥でしかないからだ。更に言えば、古市を餌に男鹿を呼び出す必要がなくなったからとも言える。
以前ならば、面倒だから嫌だ、今から古市と帰るから嫌だ、と売られた中でも楽しそうな喧嘩こそ買うが自ら率先して売ることはない、という徹底した買い専門の型を貫いていた男鹿であったが、今は売りこそしないが相手は誰でもいいようだった。決別の日以来、理由は知られていないがどんな雑魚でさえも相手にしていると噂になっていた。故に呼び出す手間がいらない。

古市の静かに一人を生きる時間は思いの外自由で、しかし何処までも不自由で、有り余った時間を考え事ばかりに費やしていた。

また、一人を生きる男鹿は全ての喧嘩を買うことに時間を費やしていたが、自棄になっているわけではなかった。ただ護るモノのない男鹿には喧嘩以外残されていなかっただけだ。無知で脆弱な乳呑み児が生きることに必要なことしか出来ないように、男鹿には喧嘩以外に出来ることがなかった。


「魔界にも喧嘩両成敗は、一応ある」

 
麗しい侍女悪魔は煌めく髪を風に遊ばせながら、唐突に言った。男鹿は血の跳ねた拳を握り締めながら女を見た。魔王は屍のような不良の残骸に囲まれているというのに静かだった。


「ただ、殆ど無い。生まれついて決まった定めを生きている上に、力関係を明確にするのが魔界の常識だからだ」


男鹿は人間も同じだ、と言おうとして止めた。男鹿には女が言わんとすることがわからなかったからだ。握り締めた拳を滴る誰のモノかもわからぬ血の温かさが不快で仕方なかった。滴る赤の温度等感じたのは何時のことだっただろうか、とぼんやりと思う。


「お前たちが一般的だというのならば、人間は我々とは違うらしい」


違いやしない、と言おうとしてやはり止めた。男鹿には女が言わんとしていることが堪え難い程に惨めなことのように思われたからだ。握り締めた拳の無意味さを、幼い子どもの悪戯を諭すように片付けられてしまう気がして、黙り込んだ。振るう拳に意味等あっただろうか、と虚ろに思う。


「私が坊っちゃまの幸せを願う程でなかっとしても、貴様にも願うものがあったのではないか?」


そう言った女の眼に、何時にない優しさが宿っていることに怯えた自己を忘れようと振り上げだけ拳は、冷えて錆付いた鉄のように軋んでいる。
喧嘩等という安っぽさも、両成敗等という簡易さも、仲直り等という陳腐さも、男鹿は必要としていない。おそらく古市もそうだろう、と男鹿は思った。どれだけ思考を巡らせど行き着く場所等決まっているのだ。温かな血への不快感も、振るう拳の意味も、呼吸をすることも、全てが一所に収まってしまうことを男鹿は知っている。おそらく古市もそうだろう、と男鹿は思った。
倒すべき敵等いない、本当の腹立たしさは外にはないからだ。内を傷付ける術がないから力は外に向かった。振るうべき拳もない、本当の煩わしさは外にはないからだ。内を叱りつけてくれる誰かがいないから力は外に向かった。見上げれば夕暮れ時は黄昏時へと駆け足で移ろい出したのが見える。日没だ。日没ならば帰らなければ、と男鹿は思った。しかし、同時にこうも思った。帰るべき場所は何処だっただろうか。知っていると言い切れないのは、冷めた手を引く優しい手の行方を知らないからだろう。男鹿は何時だって泣き叫んで待つことしか知らない。男鹿の世界は実に狭かった。
 
帰るべき場所は何処だっただろうか。鞄に押し込まれた伝達機は何処へ繋がっていただろうか。帰る為に歩き出した男鹿には待つことしか出来なかった。













倒錯的な愛情に酔っている。

真白で美しい仔兎の心が覗きたくて、狼は兎の腑をぶちまけた。それでも、腑をぶちまけられた兎は口元に弧を描く。狼はその白い指先が指し示した先にある自らの腹を食い破っている鉄枷の罠を見る。
そして二つはやっと気付くのだ。果たしてそのぶちまけられた腑がどちらのモノであったのか、心を求めたモノが誰であったのか、全てが何を意味していたのか、そこで初めて気付くのだ。























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