最近、オレは魔王の親になった。望んでなったわけではない。それでも、そんなに嫌なことばかりじゃないと思えたのは、お前がいたからだ。



確かに一、男子高校生が突然に乳幼児を育てることになれば、大変、などでは済まない苦労がある。しかし、男鹿がそれなりに育児をこなしてこれたのは、乳幼児のプロである侍女悪魔の存在と穏やか過ぎる家族の協力、そして生来の良くも悪くも適当ながら最低限の責任感はあるという性格によるものだろう。何より、


「おはよう、今日も魔王元気そうだな」


この世話焼きの幼なじみ、古市の存在を忘れてはならない。文句を言いながらも最強の不良と恐れられる男鹿に今まで寄り添ってきたのは伊達ではないらしく、当然のように魔王の育児にも協力させられているが、これもまた上手くこなすのである。生来の女好きさえなければなかなかの男に違いない、と男鹿は常々思っている。
そう、男鹿は古市を良い男だと思っている。当人への扱いこそ雑ではあるが、男鹿なりに大切にしているし、そんな歪んだ扱いしか出来ない男鹿を理解し、傍に居続ける古市を男鹿は愛している。その愛は無条件に生まれてきた、極自然発生的なモノであった為に迷いも気恥ずかしさもなかったのだ、今までならば。


「意外とハマるんですよ、ヒルダさんも興味があれば試しにいかがです?」


侍女悪魔と談笑をしつつ、時期魔王の相手をしている古市の姿に、今更ながら男鹿には不審の念が湧いてしまったのである。何故、今更なのかは男鹿自身わからなかった。しかし、湧き出した感情は瞬く間に男鹿の内部に不快として広がった。


何時ぞやの電話に出た大人びた口調で話していた古市とは?乳女や女王にハシャいで見せる癖に冷静な言動を発する古市とは?オレの親に慇懃な挨拶をしたのは?ベル坊の相手をしているのは?馬鹿な喧嘩に巻き込まれても助かってきたのは?


万人受けのする古市貴之という人間について前々から全く考えたことがなかったわけではないが、深く考えたことは一度もなかった。
いざ考えてみれば、幼少時から既に古市は何でもこなす器用な性質で万人に対する愛想も良いことから誰にでも好かれる男であった。当然、長い付き合いである男鹿はそんなことくらい心得ている。心得ていたがそれを不安に思ったことは全くなかった。二人の間には古市は男鹿のモノで、男鹿は古市のモノ、そういった無条件に互いを繋ぐ感覚が元々あった為に今までは深刻に考える必要がなかったのだ。実際、馬鹿馬鹿しい喧嘩こそ度々しているが、大きな問題を起こしたことは一度もない間柄である。これから先もずっと変わらずにそうなのだろう、と男鹿は信じて疑ったことはなかった。
しかし、考え出したら止まらなくなる。それは人間の思考が水に似ているからだ。行き着く場所のない水が土地を荒らすように、答えを持たない思考は人間の心を揺さぶり荒らす。悪魔とさえ呼ばれる男鹿も所詮人間であり、一度流れ出した思考を止める術はない。


お前は本当にオレの傍にいつもいる古市と同じ奴か?本当にお前はオレのモノなのか?


男鹿の世界は実に狭かった。極少数の他人との関係の他は全て古市が占めている、と言っても過言ではない、ある種の異常な世界が男鹿の世界の全てだった。本人が意識せずとも、それは依存と変わりがない感覚にまで堕ちた、昇華された愛でしかなかった。そんな幼い愛と未熟な疑問に答えが出せる程、男鹿が大人ではないこと等、自分が一番理解している。水は巡る。行き着く場所を探すか、溢れかえる刻まで巡る。
狭い世界でしか生きてこなかった男鹿にとって不審は古市によってしか生まれず、不審の行き着く場所さえ古市しかいなかった。















最近、友人は魔王の親になった。望んでなったわけではないようだが、面倒事が増えた事に変わりはない。それでも、そんなに嫌なことばかりではないと思えたのは、お前がいたからだ。


 
一、男子高校生が突然に乳幼児を育てることになれば、大変、などでは済まない苦労がある。しかも、その赤子は目的が人間を滅ぼすという時期魔王だ。更にその男子高校生というのがあの悪名高き幼なじみ、男鹿辰巳なのだ。古市にとって新たな悲劇の幕開けになることは間違いなかった。しかし見目麗しい侍女悪魔の存在と懇意にしている男鹿家の人々、そして周囲が不良のみという環境が幸か不幸か魔王の育児への面倒事をほんの僅かに減らした。誰も気にしないからだ。それによって古市の心労が減ったかと言えば全く減ってはいないのだが今更という気がしていた。それよりも、


「古市、何か大変だから来い」


この横暴な幼なじみ、男鹿の存在の方が問題であった。古市自身、文句を言いながらも最強の不良と恐れられる男鹿に今まで寄り添ってきたのは自ら望んだことであるから、そこには多少の難こそあれ問題はない。当然のように魔王の育児にも協力させられているが、そこも問題ではない。男鹿が厄介事を持って来るという状態は既に日常の一部になり、それに応えてやるのが当然とすら考えている自分がいることを自覚出来ない程、古市は馬鹿ではなかった。
そう、男鹿の厄介事をこなすことは古市が望んでいることなのだ。文句を言おうが、抵抗しようが、結局叶えてやりたいと思ってしまう。何だかんだと言いながら、男鹿自身の生み出す面倒事も男鹿が持ち込む厄介事も、理解して何とかしてやるのが古市の愛情表現だ。その愛は無条件に生まれてきた、極自然発生的なモノであった為に迷いも億劫さもなかった。必然的な愛だった。迷いなどなかったのだ、今までならば。


「たく、邪魔だ」
「坊っちゃまに逆らうな、ドブ男」


目の前で家族のように侍女悪魔と共に育児をする男は、確かに古市の手助けがなくてはどうにもならない幼なじみのはずなのに、今更ながら不審の念が沸いてしまったのである。


喧嘩が強いだけの極悪非道の最低男?女っ気のない粗野な奴?礼儀知らずの馬鹿野郎?幼児虐待?


考え出したら止まらなくなる。それは人間の思考が水に似ているからだ。行き着く場所のない水が土地を荒らすように、答えを持たない思考は人間の心を揺さぶり荒らす。悪魔に付き合う異常者も所詮ただの人間であり、一度流れ出したら思考を止める術はない。


男鹿は本当にオレがいつも傍にいる必要があるのか?本当にお前はオレのモノなのか?

 
過保護な愛と杞憂な疑問に答えが出せる程、古市は大人ではなかった。水は巡る。ただ闇を呼ぶように、水は行き着く場所を探すか、溢れかえる刻まで巡る。























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