お話(二次)

□表層、午後
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その時、遠くで小使い長の老人の鳴らす鐘の音が聞こえた。
もう行かなければならない。
教室へ戻るべく歩き出した真弓は、校舎へ向かう生徒たちの波に逆らって、こち
らへ歩いてくる青年の姿を見つけた。
箒と塵取り、恐らく落ち葉を入れた袋を手にして、何やら忙しげにしている。
いち早く気付いた真弓があっと声をあげる間も無く、石につまずいた要の身体はぐらりと揺らい
で、倒れてしまった。
慌てて真弓が駆け寄ると、要がいてて、としたたかに打ち付けたらしい額をさす
っているところだった。
「…日向さん、大丈夫ですか」
声を掛けられてやっと真弓の存在に気が付いた要は、情けない顔で笑う。
「ああ、木下さん。やだな、恥ずかしいところをお見せしてしまって…」
すみません、と謝る要に、真弓は手を差し延べた。指がふれる。
「ありがとうございます」
礼を言うその声に、陰りは見当たらない。
彼を手篭めにしたという男の影を、真弓は無意識に探しているのかもしれなかっ
た。
つい、意地悪をしてみたくなる。
「…痛かったですか?」
何も知らない要が、にこにこと笑う。
「いえ、そんなには。…あ、木下さん、もう授業が始まってしまいますよ」
取り落とした箒を拾ってやると、真弓は要にそれを渡した。ありがとう、と相変
わらず要はにこやかだ。
校庭にはもう僅かな生徒しかおらず、真弓も急がなければならないようだった。
「…さようなら、日向さん」
「はい、さようなら」
彼は小さく手を振った。
真弓も彼に背を向ける。
小走りに校舎の中へ入りながら、先程触れ合った細い指のことを考えた。
劣情のようなものが胸に渦巻く。
僕はあの人のあんな写真を見たのに、あの人は何も知らないんだ。可笑しい。
教室に入ると、あずさが遅いよ、と機嫌が悪そうに振り返った。
ごめんと返事をしながら、真弓は小さく笑う。

行こう。…またあの美しい、薔薇の木の下へ。
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