Novel.
□悪魔と半魔のプレリュード
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パチパチと暖炉の炎がはぜる。その音を聞きながら、バージルはページを繰った。
この城の主の手記と思しき書物。時の流れが歪んでしまったこの土地で、理性を失ってしまうまでが綴られていた。
――ある場所では、あっという間に物が腐り、別の場所では腐敗が進まない…
――季節外れの花や食物が採れる…
これくらいでは、珍しい土地、ということで終わりそうだが、一日経っただけで島の状況は一変したらしく、その変化に城主はついていけなかったらしい。
恐らくそれは――。
悪魔召喚に失敗した影響――。
あるいは――。
悪魔召喚ではなく、異界への道を拓こうとしたか。
すなわち、『魔界の門』を。
マレット島に関してこんな噂があった。
その昔、悪魔召喚を試み、失敗に終わったという噂や、異界への扉を拓こうとした者の噂――。
別の書物――これも手記のようだが――何か恐ろしいものがこの世界に顕れそうになり、慌てて封印を施した、という記載がある。
それが同じもの、また、同じ時代かどうかは分からない。
だが、マレット島は悪魔や魔界などの噂や逸話が絶えなかった。
地元の人間――特に船舶関係の職にあるものは、この島に寄り付こうとしない。それこそ魔の島と呼ばれ、恐れられていた。
またこの島付近の海流は複雑に混じっていて、近づくほとんどの船を沈めてしまう。
そんなこともあり、マレット島に近づく者はほとんどいない。
そんな状況も、噂に拍車をかける要素となった。
しかし、このマレット島では、過去に、この世在らざるものが顕れたのは間違いないようで。
この島には“人間”がいないということ、この島の生物は異形のものということは、確かなのだ。
現に、自分の隣にいるこの女も、人間ではない。
――人間の姿をしてはいるが。
「トリッシュ」
傍らで寝そべっている彼女に声をかける。
サラリと金髪が揺れ、蒼い瞳とぶつかった。
「何をしている」
「本、見ているの」
そう言って、視線を手元に戻す。
――なるほど。
確かに『見て』いるようだ。
パラパラとページをめくり、読めない文字の羅列を流し見ている。時折、ページを繰る手が止まるのは、そのページに絵が書かれているからのようだ。
確かに。
『読んでいる』ではなく『見ている』だな。
バージルは苦笑を浮かべた。
読めない本を手にすれば、普通ならば三分ともたないはずなのに。
彼女はリズミカルに、脚をパタパタとさせていた。
「おもしろいか?」
「いいえ」
「ならば、何故?」
「……あなたが見ているものだから、おもしろいものかと思って」
また、パラリとページを捲る。その手が止まり、本を睨むようにじっと見る。そしてまたページを捲り――。
バージルはやはり、苦笑を浮かべた。
幼子を思わせるその仕草は笑みを誘う。
夜という時間は、たいてい闘いのなかに身を置いている時間なのに。
こんな穏やかな時間は久しぶりではないか。
バージルは本を閉じた。
その音が聞こえたのか、トリッシュが、ぴくん、とこちらを見た。まるで猫のようだ。
「どうかしたの?」
「いや、何も。
おれはもう休む」
手にしていた本を、積みあがっている山の上に置く。
散策から戻って速攻で書庫に駆け込み、適当に選んできた本ばかりだ。明日はもう少し、じっくり読めるだろか?
固まってしまった背中をほぐし、立ちあがる。元、城主のベッドに寝転がり、目を閉じる。潮騒の音がかすかにする。
視線を感じ、ふとそちらに目を向けると、ベッドの縁に寄りかっていたトリッシュがいた。
「トリッシュ」
「なに?」
「おやすみ」
思わず言葉が出た。
イカレたか?とさえ思ってしまう。
「なあに、それ?」
「人間が、交わす言葉の一つだ」
――また、明日会いましょう、という意味も込めて。
「『おやすみ、バージル』」
バージルは吐息と共に笑うと、重みに任せて目を閉じた。
≫≫