薄桜鬼 弐

□54. 変わりゆく姿
1ページ/4ページ





ズキズキと痛む体が、だんだんと和らいでいく中。


温かい人肌に触れて、耳元に落ちてきた声があまりにも切なそうに囁くのを聞いていた。


すまない。と告げた男の声が、耳に張り付いた。


どうして、斎藤さんが謝るんですか。


あなたは私を生かし、私に真っ直ぐ歩き続ける力をくれたんです。


どうかそんな悲しい声で、切ない声で私を呼ばないで。


言葉を発したとて、今の姿と声で意味を汲み取ってもらえるはずもなくて。


だから寄り添い、慰めるように彼の頬を何度も舐めた。


それしか出来なかった。


記憶の片隅に残った宵闇。


次に目を覚ましたのは、どれくらい時間が経過していたのだろう。


皆目見当がつかなかったが、彼は隣にいなかった。



「さい……とう、さん……」



見慣れたはずの天井が、ひどく懐かしい。
また屋根に積もった雪がドサリと落ちる音が頭上に響く。


口から自然と出て来たのは、自分が憧れている―――そう思い込んで、本心に気付けていない―――斎藤の名前だった。



部屋には誰もいなかった。


ただ残された静寂が、平和な日々を連想させる。


雪化粧の中で小鳥が細い枝に集まって囀っているのを見れば、春がもうやってくる気がした。


長かった“冬”。


心から桜を喜んで眺めるのは、藍人が死んでから初めてだろうなんて思った。


首と、腹部……何より右腕がまだ、痛い。


それでも起きあがることに支障がない程度にまで回復した。


あの日……傍にいてくれた斎藤に、白狐の姿を見せてしまった斎藤に、どんな顔をすればいいんだろう。


カタカタと痙攣しているように、小刻みに震える右の指先を見つめながら考えていた。



「あ……」



傍らに置いてあった小道具の箱にたまたま目が付いた。


刀の手入れ道具であり、とても年季が入っているようにも見える。
研ぎ石や打ち粉が減ってきているのを眺めながら、ここに先程まで誰がいたのか容易に想像出来た。


思わず畳に触れる。


温度は、ない。
去ってからそれなりに時間が経っていたんだろう。



「……」



春は、もう近い。


頭の端っこでそんなことを思いながら、障子の隙間から覗く中庭を見つめていた。






第五十四幕
変わりゆく姿







「茜凪さんッ!」



稽古を終え、巡察の仕度をしていた時のこと。


原田と平助、沖田は廊下の方からバタバタと騒がしい声を聞きつけて顔を見合わせた。


どうやら千鶴が荷物を放りだして、何かに声をかけているらしい。


何事?と思った刹那、飛んできた名前に平助が肩を跳ねさせ、駆けて行く。



「茜凪!?」



起きたのか?なんて誰もが思いながら、沖田も原田も平助のあとへと続く。
騒がしい廊下の方へと足を赴ければ、手すりに掴まりながら部屋から広間の前まで歩いてきたのであろう、茜凪の姿。


そしてそれを案じる千鶴の姿が確認できた。



「茜凪さん、無理しないでください!まだ……」


「だ……いじょうぶ、です」


「茜凪!」


「起きたんだね、茜凪ちゃん」



千鶴があわあわしながら、白い夜着のままで歩いてきた茜凪の体を支える。


茜凪は寄ってきた沖田や原田、平助に笑いかけた。



「沖田さん…。藤堂さん、原田さん…」


「お前、大丈夫か!? 約二月も眠ったままだったんだぜ!」


「あはは……そうみたいですね」


「笑い事かよ……。もう起きあがって大丈夫なのか?」



平助は彼らしく、大きな声で騒ぎながら茜凪の傷を確認していく。


原田は相変わらず冷静なまま気遣ってくれ、笑顔が自然と零れてしまった。


一方の沖田はここにいない人物を思い、くすりと笑みを浮かべつつも、困ったように茜凪に声をかけたのだった。



「おはよう、茜凪ちゃん」


「おはよう、ございます。沖田さん」


「体はどう?まだ辛そうだけれど」




.
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ