薄桜鬼 弐

□56. 無名戦火録
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篝火が消えた。


もう、時間である。


折り目正しく正座をし、消えた燈を見つめていた切れ長の瞳が闇に隠れる。
精神を統一し、もう一度あげた瞳には何の感情も灯っていなかった。


ここにはあまりにも思い出がありすぎて離れることを切なく思ってしまう。


―――いずれ、必ず戻ってくる。


己にそう言い聞かせ、男は―――斎藤 一は部屋を出た。



「副長」



この屯所を、表向きには御陵衛士になるために離れる斎藤は、最後の挨拶として…土方の部屋の障子の前に膝をつけた。



「あぁ」



障子は、開けられなかった。
顔を見ることは、叶わなかった。
どちらともなく、声だけでいいという思いがあったからだろう。



「行って参ります」



部屋の中から短く返された答えは、迷いなんてない鬼副長のものだったけれど、どこか細く小さく伸ばされていた気がした。


だからこそ、最後。
膝をあげた時に声をかけられたんだ。



「斎藤」



呼ばれた名前は、いつも通り。


隊務を言い渡す時と同様の鋭い声。


返事を返せば、土方は間を置いてから告げた。



「必ず戻って来い」


「……はい」



―――今、俺に成すべきことがあるならば。
果たすまで、この命を易々と投げるわけにはいかない。



「心得ております」



感情の灯らない声に、部屋の中で書き物をしていた土方の腕が完全に止まる。


彼を行かせれば、間違いなどないだろう。
だが、彼だからこそ心配になる点があった。


斎藤の心が、長く孤独な戦いに耐える彼の心がありのままでいられるかどうかということ。



「例えこの身が離れても」



彼が持つ強さ故の……弱さのようなものを。



「俺の心は、新選組と共に在ります」





第五十六幕
無名戦火録





あの戦いの発端は、今より何年も前だった。


そしてその戦いは、時が流れ、終わりを迎えた。


名もなき、妖たちの戦い。


己が信念と約束、譲れないものを懸けてぶつかり合った戦い。


動乱の人の世に対し、平和を取り戻した妖界。


そして、彼女たちは自分のために歩き出す。


変わらなかった、憧れのもとに。





「いってきます」


「茜凪、遅くなる前に帰ってきなさいよ」


「分かってますよ、それくらい」



慶応三年 三月。


京の桜は、心から美しいと思うことを許された今の茜凪にとって、本当に絶景だった。


ひらひらと風に舞うのが淡い雪から、桜の花弁に変わる。


季節を感じさせられれば、もちろん体の傷も大分癒えていた。



「あ、おい茜凪!」



祇園の一角にある小料理屋。


世辞にも大きな料亭とは言えないけれど、今、妖である茜凪はここを住処としている。


店の女将として料理を提供しているのは、かつて蹴転であった菖蒲。


隣に在るのが、彼女を愛している水無月。
そこに集うようにして寝食をともにしている烏丸、狛神。


怪我が癒えた、名の無い戦いに参戦した戦友が京に戻ってきたのは一月ほど前のことだった。


水無月が借りていると聞いた家屋は、実は自腹で買い取ったこの一家だったらしく茜凪たちは新しい生き方を歩んでいた。


妖と人間。


決して交わることを良しとはしない関係のまま、自分達の意志を曲げることなく……。



「なんですか、烏丸」


「俺も一緒行こうか?お前まだ足、痛むだろ」


「いいです。あなたが来ると騒がしくなるので」


「なんだよその言い草!俺だって久々に新選組の奴らにだな……!」



早いもので、藍人が天に還ってから約四月が経過していた。


ようやく普通に生活できるほどの体を取り戻し、首や腹部の痛みに顔をしかめることは無くなった。


未だに季節の変わり目や、天気によって肩の傷は痛み、剣をとった際に以前と同じ実力を出すのは到底不可能という状態。


利き手が右であるが故に、時には重たい荷物を持つだけで痛みに襲われることもあった。


それでも、腕を犠牲にしてでも勝ち取ったものを茜凪自身が誇らしく感じていたんだ。



「本当に来るんですか……?」


「いいだろ!屯所に行くのだって久しぶりなんだからよッ」



そして今日。


茜凪が屯所を出る際に約束した通り、怪我が癒えた体で会いに行き、礼をきちんと告げようと西本願寺に彼女は足を伸ばした。


四国の山から戻ってきた烏丸も同行し、懐かしく感じられる場所へと向かう。


市中でだんだらの隊服を着た男たちを見かけて、“今日は二番組が見廻りか”なんて会話が自然と出てしまう。


大通りに並んだ茶屋にある団子を手土産に、茜凪は千鶴に会えることも嬉しく思っていた。



―――思えば、約四月前。


だんだらの隊服を見ては、式神の標的にならないようにと目をつけていたことを思い出す。


更に遡り、一年前。


本物の沖田と接触し、斎藤と再会したことは必然とも言えるような出来事だった。


いろんな選択肢が出てくる中で、迷いながら、自分にとって相手にとって正しい道なのか、わからないまま苦悩して……それでも進んできた道。


それが今―――新たな分岐点へと来ていることを、まだ理解しないまま……。



「ごめんくださーい」



祇園から西へ向かうことそのまま。


壬生の近くまで来てそのまま南へと向かい、京の中心部を抜け、西本願寺へ。


今は稽古の最中であろう、道場から打ち合いをする音と掛け声が聞こえてくる。


が、境内は本当に静かなものであった。



「入っていいのか?」


「どうでしょう。千鶴さんがいらっしゃれば、土方さんや近藤さんに会わせて下さると思うのですが」


「ま、いいか。俺達ここに住んでたようなもんだし」


「それは都合のいい解釈の仕方では……」



ズカズカと入り込んでいく烏丸に、茜凪が呆れつつ結局倣ってしまう。


屯所として使用している太鼓楼の前まで来た時、中庭で千鶴が掃き掃除をしているのが見えた。



「千鶴さん」


「!」



彼女には声をかけておいた方がいいと、茜凪が口を開く。


どうしてだかは分からないが、俯いて……悲しそうな顔をしていた彼女が視線をあげる。


現れた茜凪と烏丸に、一瞬詰まるような表情をしたが……やがて眉を下げて笑顔を見せてくれた。



「茜凪さん、烏丸さん!お怪我はもう大丈夫なんですか……?」



パタパタと箒を持ったまま、駆けてくる千鶴に茜凪も烏丸も笑顔を見せる。


頷いて返してやれば、安心したように目を潤ませていた。



「はい、もう大丈夫です」


「そーそ!俺の目も見えるようになったしな!」



そう言って、烏丸は自分の目を指差していた。


彼の左目は頬から眉にかけて真っ直ぐな傷が入っていたが、瞼も開けるし、視力にも問題は無さそうだ。


さすが妖というべきだ。
痛そうだと思いつつ、千鶴は烏丸の傷を見てから、追及に迫った。



「お二人とも、今日はどうして……?」


「お礼を言いに来たんです。全て終わったので」


「お前らには相当迷惑かけちまったからな」






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