紫電一閃 弐

□42. 獣化
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「ただいま」


「おかえり。遅かったわね」



祇園市中。


料亭も暖簾をおろし、片付けをしている頃だった。


屯所で何かが起きていることも知らずに、無事に帰宅した茜凪はそのまま風呂に入ろうと着物を脱ぎ始めていた時のことだ。


風呂場の窓にカンカン!と叩かれた音がする。


着替えもそのままに、帯を解いた状態で窓を躊躇わずに開けた彼女の目に飛び込んできたのは一枚の式神だった。



「これ、狛神の……」



何かを知らせるために、茜凪のもとへ訪れたのだろう。


触れれば感じられたのは、重丸が捕らわれたということ。


そして、小鞠に新選組が襲撃されているということ。


感じ取れたことには微塵も嘘はなかったが、頭には謎だけが残る。



「小鞠……っ」



それに、新選組の屯所といえば、先程皆と別れてきたばかりではないか。


あそこには、復帰した斎藤もいる。千鶴も、病状が芳しくない沖田も。


原田や永倉、土方だけで妖を相手にするのは難しいと感じ、茜凪は急いで帯を巻きなおして屯所にとんぼ返りになろうと料亭を飛び出す。



「ちょっと、茜凪!?」



慌てた形相に、菖蒲が驚き彼女の後を追い料亭の入り口から出てきたところで固まった。


もちろん、茜凪も道のど真ん中で固まっていた。


目の前に、蛇の式神がいたからだ。



「小鞠の式神……っ」



妖力の気配が小鞠のものだった。


間違いない、彼女は新選組を襲っている。


何故、という気持ちと同時に大切なものを傷付けられていることへの憤りを深く感じる。


式神の蛇が茜凪や背後にいる菖蒲を襲うために牙を剥いたが、そもそもの実力が違うのだ。



「去れ」



たった一言。


それから手を巨大な蛇の式神に翳しただけ。


それだけで、妖力の強さに圧倒されて式神は消え去る。


一瞬だけ、茜凪の瞳の色が茜色に変わっていたことに菖蒲は気付けないでいた。



「茜凪……今のなんなのよ……」



また、得体の知れないものが自分たちの周りを取り巻いている。


恐怖を感じた菖蒲だったが、茜凪は怯むこともしなかった。



「菖蒲、部屋に戻っててください」


「あ、あんたはどうするの……」


「私は、少し様子を見てきます」



菖蒲が危険だからやめてほしいという顔をしたのを、茜凪は見逃すこともなかった。


しかし、ここは向かわねばならない。


本当に小鞠が相手になるのだとしたら、帯刀していない今の格好は無茶だ。


茜凪はすぐに部屋に戻り、約一年ぶりに愛刀を携えて、元来た道を戻ることになる……。



「水無月。緊急事態です。菖蒲をお願いします」


「茜凪……っ」


「事情は帰ってからご説明しますから……ッ」



ただの町娘のような着物姿で刀と妖術の札だけを持ち駆け出した茜凪。


菖蒲は不安そうな顔でそれを見送るのだった。





第四十二片
獣化





新手の存在に危機を感じたのは、新選組や狛神だけではなかった。


どう考えても、ここで妖の羅刹に参戦されることは、本音の小鞠にはとても迷惑だっただろう。


だがしかし、ここで笠の女が差し向けた羅刹を拒んでは、全てがばれてしまう……。


どうにかしてやり過ごさねばならなくなり、小鞠は密かに顔を歪める。



「妖の羅刹……ッ」


「こんなに……」



全ての個体が禍々しい空気を放っており、これが殺気や妖力だと感じたのは確かだ。


どう考えても、全てが異常である。姿カタチも何もかも。


白髪で灼眼を放つ化け物が勢ぞろいしたことにより、狛神と小鞠の戦いも自然と一度休戦された。



「縹……っ、てめぇめんどくせえもん差し向けやがって……ッ」


「これは……っ」



あたしが寄越したものじゃない、とは言えなかった。


そうだとしても信じてもらえないし、今更信じてもらう必要もない。


二度と、交わらないことを小鞠が選び、今日こうしてここに在るのだから。



「私を裏切るのか。それとも意志のままに戦うのか……。魅せどころですよ、縹 小鞠」



当の羅刹を差し向けた笠の女は茜色の瞳を向けて、無表情のままに楽しんでいた。


全ての羅刹が動きを止めたかと思えば、息をすることすら躊躇われる空間が生まれる。


誰かが固唾を飲む音が響いた。


構えた狛神と、惑う小鞠。


新選組すらも巻き込み、妖の羅刹に囲まれた彼らが時を待つ……。


そして――。



「やれ」



合図は訪れた。





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