煌びやかなネオン街をひとつ横に逸れ、地下へと続く階段を下る。6段。それほど潜る訳ではないが、日常と非日常を区切るには十分な長さだ。その先の青みがかった扉は、いつから油を注していないのか、ぎぎぎっと呻き声を上げて開いた。鼻腔をくすぐるお酒の匂い。静かに流れるジャズの旋律。薄明かりの中、先に来ているであろう彼女の姿を探す。どこにいようと目立つ彼女はすぐに見つかった。カウンターの左端。私が知らない男に、笑顔を向けて。 目を細める。常々彼女から目付きが悪いと言われているが、今は認めざるを得ない。別に怖がらそうとしているんじゃない。この明度で、相手の顔をよく見ようとすれば自然とそうなるだけだ。保身めいた理由を思い浮かべながら、つかつかと(あるいはいつもより大袈裟に)カウンターに歩み寄っていく。男はそれに気付いたのか、最後に意味ありげな微笑みを彼女に向け、店を出ていった。 「今のは?」 「さぁ。知らない男」 「どんな話を?」 「ボーイフレンドはいるのか、だって」 ああ、眩暈がする。まだひと口だって飲んでいないのに。それは間違いなく、どこかの恋愛に疎そうな同僚だって間違えようがなく、口説きにきた男だ。頭を押さえた。彼女は大丈夫?と覗き込んでくる。やめろ、その角度は。額に手を当てたまま、聞き返す。 「それで。何と答えた」 「いないわ、って」 「馬鹿かお前は」 そこは嘘でもいるわと答えるところだろう。口まで出かかって、やめた。背もたれのない椅子に軽く腰掛け、組んだ片足を宙に泳がせている彼女に、悪びれる素振りは一切ない。過去の自分を恥じることがないよう、その先の未来でもがいて黒を白に引っくり返してしまう彼女に、今さら何を咎めたところで無駄に違いないのだ。 「でもかわりにこう答えたわ」 片手で髪の毛をくしゃりと握り、少し血色の良くなった桜色の唇を器用に動かして。彼女は言った。 「ガールフレンドはいるの」 「……馬鹿かお前は」 キールをひとつ。絞り出した言葉は、何とかマスターに届いたようだった。 end. |