BC-FF7-

□キールをひとつ
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煌びやかなネオン街をひとつ横に逸れ、地下へと続く階段を下る。6段。それほど潜る訳ではないが、日常と非日常を区切るには十分な長さだ。その先の青みがかった扉は、いつから油を注していないのか、ぎぎぎっと呻き声を上げて開いた。鼻腔をくすぐるお酒の匂い。静かに流れるジャズの旋律。薄明かりの中、先に来ているであろう彼女の姿を探す。どこにいようと目立つ彼女はすぐに見つかった。カウンターの左端。私が知らない男に、笑顔を向けて。

目を細める。常々彼女から目付きが悪いと言われているが、今は認めざるを得ない。別に怖がらそうとしているんじゃない。この明度で、相手の顔をよく見ようとすれば自然とそうなるだけだ。保身めいた理由を思い浮かべながら、つかつかと(あるいはいつもより大袈裟に)カウンターに歩み寄っていく。男はそれに気付いたのか、最後に意味ありげな微笑みを彼女に向け、店を出ていった。

「今のは?」
「さぁ。知らない男」
「どんな話を?」
「ボーイフレンドはいるのか、だって」

ああ、眩暈がする。まだひと口だって飲んでいないのに。それは間違いなく、どこかの恋愛に疎そうな同僚だって間違えようがなく、口説きにきた男だ。頭を押さえた。彼女は大丈夫?と覗き込んでくる。やめろ、その角度は。額に手を当てたまま、聞き返す。

「それで。何と答えた」
「いないわ、って」
「馬鹿かお前は」

そこは嘘でもいるわと答えるところだろう。口まで出かかって、やめた。背もたれのない椅子に軽く腰掛け、組んだ片足を宙に泳がせている彼女に、悪びれる素振りは一切ない。過去の自分を恥じることがないよう、その先の未来でもがいて黒を白に引っくり返してしまう彼女に、今さら何を咎めたところで無駄に違いないのだ。

「でもかわりにこう答えたわ」

片手で髪の毛をくしゃりと握り、少し血色の良くなった桜色の唇を器用に動かして。彼女は言った。

「ガールフレンドはいるの」
「……馬鹿かお前は」

キールをひとつ。絞り出した言葉は、何とかマスターに届いたようだった。



end.



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