‡箱館‡

□rainy days
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昨日から、止むことなく響き続ける雨の音。
時に激しく、時に緩やかに。
けれども決して止む気配はない。


こんな日は、思い切り朝寝坊して、起きても一日中部屋で他愛なく過ごすに限る。

時間を気にせず、ただ、このほぼ一律の天の音にだけ従って…。


隣には勿論、愛する君…。








【rainy days】









「良き友三つあり…。一つには物くる友、二つにはくすし、三つには知恵ある友…。」
薄暗い室内に響いた声に、自分の手の爪を切っていた伊庭が背中合わせに座る恋人を振り返った。
「何読んでんの?」
わざわざ昼間なのに行灯を点し、少し身体を屈めて本に向かう土方が、その声に顔を上げる。
「『徒然草』。」
「つれづれぐさ…。」
吉田兼好かぁ…。
そう呟きながら、伊庭が再び己の爪の手入れに戻る。
『徒然草』。
吉田兼好、所謂兼好法師が記した有名な随筆文だ。
「珍しいね。歳さん、そういう種類の本って好きだったっけ?」
伊庭の判断が正しければ、土方はどちらかというと中国の諸子百家の書物や、軍記物、和歌集、句集などを好んでいたはずだ。
少なくとも、伊庭の知る限りでは、今まで土方は随筆文学に手をつけたことはない。
切り終った爪をやすりで削りながら伊庭が訊くと、土方の背中が軽く寄りかかってきた。
「為兄に、指定された。」
それだけで伊庭には合点がいった。
土方は周囲に黙って漢文や古典の勉強をしている。
その事実を知っているのは、伊庭と、土方を教えている張本人、土方の長兄、為次郎だけだ。
他にも、どうやら土方の弟分である沖田総司辺りは感付いているようだが、実際にそれを確かめたことはないし、沖田の方も何も言ってこない。
家業である薬の行商や、試衛館での稽古が終った後、土方は教授を受けるため、人目を忍んで兄の家に通っている。
土方とその兄の勉強法の基本は、専ら音読だ。
為次郎が盲目だというのも関係しているのかもしれない。





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