土×榎novelA

□SERENADE-後編-
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「…─よし、下船は明日の朝から手筈通りに」

筆をしまい顔を上げると、親友は何処か心ここに有らずで、船室の小窓から外を眺めていた。

丸い小窓はまるで異国で見た絵画の額縁のようで、
以前、船頭から眺める水平線とも違って丸く象られた景色も良いと言った彼は、
ちらつく雪を見ているのか、この上無く愛する海を見ているのか定かじゃないが、
一向にこっちを向いてくれないので一声掛けた

「釜さん」

「んー…?」

気の無い返事。

「じゃ、部屋に帰るよ」

「え、」

漸く振り向いた面持ちは、驚いたと言わんばかり。
あぁ、この様子じゃ今までの僕の話しも聞いてくれて無かったかもしれない…。
明日の朝にまた再度確認する羽目になるかな。

「え、ってなに?土方さん来るんだろ?僕は戻るね」

一口ほどカップに残っていた珈琲を一気に飲み干し。腰を上げる

「いや、別に何も、沢さんが居ても問題なくない?」

ソワソワ、妙な効果音が部屋に流れている気がする。

それに、気丈で明快を常としている彼には相応しくない随分と歯切れの悪い声を出すものだ。
そう言われても、自分の用件は済んでしまったし。
そして、僕はそこまで空気を読めない人間ではない。
本音を言えば寧ろ今すぐにでも部屋を出て行くべきだと僕の本能が告げているのだけれど

どうしても出て行くなと縋るような眼が離してくれないので、僕はもう一度席に座り直した。


「僕に何を求めてるの?」

「…率直な意見、とか?」

もう勝手にしてくれと言えたなら、どんなに楽か知っている。
知っているけど、このまま放って置けないのも確かだ

こんな事だから、いつも僕は大鳥さんや周囲から甘いと言われているのかもしれないが…
まぁ、どーせ僕は昔から彼に甘いし、世話焼きですよ

明晰で聡明と他には通ってる彼の本質が、
度胸は有るが実は繊細で、不器用で、どこか抜けていて危ういのを散々見てきた為だろう。
探究心も追究心も好奇心も、昔から変わらず。今でもそれはまるで子供のように無邪気で旺盛だ。
そしてそれが転じて僕らが今こうして、此所に居るのだけれど
その性が時として…いや、今に仇となっているらしい

僕としては、第三者が踏み込むべき領域では無いと思うし。野暮な事はしたくも無いが、
ぶっちゃけ、このまま状況が発展しないと言うのも、迷惑この上無い事だ。
仕事まで気薄にされては堪ったもんじゃないし。

おそらく、望みが無い訳じゃないんだろう…?
狼狽えているのが、意識していると言う何よりの証拠

乗り掛かった船…いや、既に船は乗ってるのだけど。
毒を食らわば皿まで。と言うように、まずは僕が腹を括ろう。


「意見も何も…それは当人達が決める事で。合意なら、誰にも止める権利も否定する権利も無いだろ」

つまり僕が関与するべき事では無い。と、
見放している訳では無いけども、求められた通り本当に率直な回答を述べてみる

「実際に悩んでいるのは、どんな行動を起こせば良いのか。よりも、行動を起こすべきか否か。だよね?」

やや気まずい間があり、
彼の眼が僅かに揺れフイッと俯き、手の中のカップへ視線が落ちた。
どうやら図星らしい

「誰に何を言われても所詮は他人事。全ては自分次第さ、今までもそうだったように、これから先もね」

「今までもって…」

「止まっていたら後退はしないけど前進も出来ない。って言うだろ?」

「じゃあ、前進…?」

「行先が見えないのは今に始まった事じゃ無いんだから、狼狽えるのは今更だ」

だから、思うが儘でいーんじゃないか?
と、最後には冗談めかして言った。
なんだか、こっ恥ずかしい事を言っているようで居た堪れなくなってきたじゃないか。
どーしてくれんだよ、もう

「そもそも…僕がここで、止めたほうかいい。とか、無理だと言っても納得しないだろ絶対」

「沢さんなら、そうは言わないと思ってた」

さらり、間髪入れずに答えられた。
圭介と郁さんは怒るだろうけど。って、見慣れた屈託の無い笑みは昔と何も変わらない。
因みに、その2人も昔からこの人には甘い。
と言うか、大鳥さんは年の功とかで、まるで兄のよう口煩いくらい気に掛けてるし。
荒井さんは激しく好意を露にしているのが端から見れば一目瞭然。本人はまったく気付いて無いけども。
ここで2人なら、面倒になるといけないから考え直せ。などと説教するのが目に浮かぶ。

「あの2人は何があってもどんな時も釜さんの味方さ。もちろん、僕もね」

「知ってるよ」


万感の思いで溜め息を心底から吐き出し、今度こそ腰を上げた

「もう行くよ」

「うん、」

ありがとう。なんて、
素直に言われて自分は笑みを返し。
扉を開けたその横の壁に、背を預けて立って居たのは彼の人─…


「…こんばんは」

僕がまず先に会釈をした。
驚きを上手く隠せるほど僕は出来た人間じゃない。

今までの話し、聞かれていたかもしれない。
いや、おそらく聞いていたのだろう。何んとも言えないような、複雑な苦笑を見せられてしまった。
頼りなく眉を崩す様は単純に綺麗だと思うような顔に似つかわしく無くて、
御会いする機会は少ないけど、驚きや違和感を覚える


「あ、土方くん」

「よぉ、入るぞ」

「うん。じゃあ待ってて。飲み物とか持って来るね」

って、この人まで部屋を出て来る気か!?
このタイミングで動く必要無くない!?至って平然と言い出すから完璧コレ何も考えてないよこの人
いやいやいや、空気読んでくれよ頼むから。ホント、昔から何度思わされてきた事か

「釜さん僕が持って来るよ。土方さん、何を飲まれます?」

「いや、気にするな」

「そうですか。それでは僕はこれで」

「明日の作業は宜しく」

「えぇ、」

早々ながら丁寧に辞を述べ、釜さんの顔を見ないようにして扉を閉じた。


まったく、こんな事までに世話を妬かす。…って、
それを性と既に諦めているけども犇々と思わされる

そして、弄らしい。も、悲しい。も、況してや悔しいともけして思わないが、
微かに抱くこの虚しさは、例えるならまるで我が子を嫁に出すような心情。とか
考えている自分に心底、
深い溜め息を吐き出し。

今夜の指示は僕が一任して。船員が部屋に近付かないよう手筈しなければ。と
僕は甲板へ赴く事にした。
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