京都土方攻novel

□カラン、コロン
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カラン、コロン。

カラン、コロン。

下駄の音が2つ交互に、
静かな、まだ薄明るい夏の夜空に響く。
吹く風は日中の暑さを残し、それでも夕刻独自の涼しさを含む香りを乗せ、2人の間を駆け抜けた。


カラン、コロン。
カラン、コロン。

これから祭りに行くというのに、その音を奏でている沖田の顔には何故か、
下駄音の軽快さにも祭りの賑わいにも似つかわしくない不満の色が、ハッキリ浮かんでいる。

「…ん?…どうした?」


カラン、コロン。


ふと、視線を感じて土方がそちらを見れば、
ムスッと不満を映した瞳が土方を見上げている。
正確には、彼が気になるのはどうやら衣服の方で…。

「やっぱり…歳三さんも、着物にすればよかったのに」

ぼそり呟かれた言葉は沖田の独り言のように、夜道に落ちて消えた。

現在の寝床である試衛館を出た後から…いや、まだ部屋に居た時からだろう。
自棄に視線を寄越していた沖田が口許に彷徨わせていたのはコレだったのかと、土方は密かに小さく笑む。
何を気にしているのかと、早く問うてやればよかったな、と。

「なにも変わらねぇだろ」

まぁ、こっちのが丈が短いだけで…。言いながら土方は懐に仕舞っていた腕を抜き、作務衣と言うか平たく言えば甚平の袖に通す。

「稽古する時だって胴着も着ない人が」

神輿を担ぐでも無いのに、なんで今日に限って。と、
子供染みた…と言うか土方からすれば未だ幼さ満点の沖田は、正に子供らしく小さい唇をツンと尖らせる。
怒っているわけではなくて、これは単なる沖田の駄々だ。

「いつもの着流しはどーしたんですか。近藤さんからわざわざ借りてきて」

「たまにはいーだろうが。似合ってンだし?」

真夏の夜に涼し気な藍染めのソレは、本人が自覚するくらい確かに土方によく似合っている。
只でさえ日頃から町を彷徨けば女に振り返られている土方は漏れ無く本日も人目を惹き付けている程だ。
それは今更ながら不満に思う事ではない。それでも、沖田は不服なのだ


「なに拗ねてンだよ」

機嫌を伺うようにそっと手を取り、土方が膨れる沖田の顔を下から覗き込む。
瞬間、間近すぎる土方との距離に沖田の頬に朱が走った。照れ、とかではなく、理由は別にある。


「拗ねてません」

「お、まだお面の一つも買ってねぇと思ったが、もうひょっとこの面なんかつけてンのか総司」

「つけてない!」

「そうか?口がひょっとこになってっからよ。俺ァてっきり被り物かとな」

ニヤリと不適に笑いながら土方は、道から逸れて直ぐ脇の民家の塀へ沖田を追いやった。
背に硬い壁を感じて沖田の中で焦りと先程から持つ感情がぶつかりあう。
どちらにしろ、それらに負けるワケにはいかないと、目を泳がせている時点で、土方本人に負けを知らせていることを、悲しいかな、沖田はしらない。

「…なっ、何ですか!祭りは?!」

「あぁ、行くぞ」

「だったら早くっ」

「そんな仏頂面して歩く気か?せっかくの祭も興醒めちまう」

口端を片側だけ吊り上げるのは、いつもの土方。既によく見慣れたその表情なのに、沖田はそれを直視できない現実がある。
ふいっと顔を反らして頬を膨らませるが、その表面の朱赤はどうも濃くなる。
夏の夜の暑さの所為ではなくて。

「じゃあひょっとこでも何でもいいから面でも買って来て下さいよ。つけて歩けばいいんでしょ」

視線を逸らしたまま。そこから抜け出そうと、沖田は土方の肩を押しやった。
このままではバクバクと煩い心臓が保ちそうに無い。
けれど否定とともに体を押し返され、沖田は肩を捕まれ再度壁に縫い止められてしまった。
慌てて視線を上げれば、そこには悪戯を見つけた土方のなんとも楽しそうな顔。

「それじゃオメェが喜んでる顔が見れねぇじゃねぇか。詰まんねぇ」

「またそう人を揶揄って」

「揶揄ってねぇよ。俺は祭(を楽しむ沖田)を楽しみてぇってンだろ」

「祭その物を楽しむつもりは無いんですか!」

喚く沖田の口唇を、静かに触れた土方の指が制す。
薄色の月が浮かぶ紺色に飲まれ始めた空が、土方の向こうに広がっていた。
もうすぐ、完全に日が暮れる。

「あんま可愛くねぇ事ばっか言ってっと、痛い目に遭わすぞ」

表情も口調も柔らかなのに、その瞳だけが沖田に否定を許さない。
それでも、どこまでも沖田は素直に口を開こうとせず。
ぷいっ、と再度背けられた顔はやはり赤いまま。
なぜだろう触れた肩が僅かに震えている気がして、
抱いた揶揄い混じりの小さな答えを、土方は気紛れにも口にしてみた。

「まさか、惚れ直したってか…?」

笑いを含んで言った土方の科白に、沖田が弾かれたように視線を戻し、その瞳に目の前の人物を映す。
驚きが隠せないと大きく見開かれた瞳は、バレた。と羞恥からか、うっすらと水が膜を張っているが、
本人は直ぐにキリッとその双眸を険しくさせ


「だ、…だったら、何だって言うんですか」

「は・・・?」


本当に沖田の反応が予想外だった為、土方はまじまじと沖田を見詰めていると、

「なんか、いつもと違くて…」

だから、落ち着かない。
と言って上目に窺いながら徐ろに伸ばされた沖田の指が、静かに土方の甚平を掴む。
たったそれだけの事なのに、ごくり、思わず土方は喉を鳴らしてしまった。
只でさえ脆い理性が早くも崩れ落ちそうになる。
けれど、もう少し。
もう少しだけ、普段はこのうえなく素直じゃないと言うか生意気な恋人の、滅多に見られないこの恥じらう可愛らしい姿を見ていたくて、必死にその糸を繋ぎ止めたが。
そんな大人の事情など沖田は知る訳も無く唖然としている土方に気まずくなったようで

「…ぃ、いつも着流しすら着崩してるのにそれ以上の薄着で出歩くなんて考えられないんですよ!」

途端にまた口を尖らせつつ強気に弁解するが、
それがまた、極上の口説き文句だと、沖田はきっと、気付いていないだろう。

「ホラ、行かないんですか?足とか剥き出して、虫にいっぱい刺されても知りませんからねっ!」

「心配してンのか?」

沖田の耳元でそっと、低く甘いテノールが響く。
離れ際、ちゅっ、と小さな音をたててその口唇が沖田の頬に触れれば、極上の赤に染まった顔が初々しいまでの反応を示す。

「まぁ、線香は持って来てっから安心しろ」

懐からチラッと覗かせるのに、流石は抜かり無い。と沖田は感心してしまった

「虫除けのテメェが虫に刺されちゃ格好つかねぇだろ」

「虫除け…?歳三さんが?」

「オメェみてぇな危なっかしい奴ァ、直ぐタチの悪ィのに捕まるからだ」

これまで土方が色々と手塩に掛けたり手を尽くしてきたりしたお陰か、どうかは定かではないが、
上手い具合にだいぶ土方の好みに育ってきた可愛い沖田である。
人の集まるような祭なんか行って何かあってからでは遅いのだ。

「まさかそれで…、ソレを着て来たんですか?」

「あぁ、着流しより動き易いからな」

甚平は謂わば土方の戦闘服だったらしい。
いま危なっかしいと言われた沖田だが、幾ら活気が祭の醍醐味だろうとも喧嘩をする気で祭に来るような奴の方が、よっぽど危ないのではないのだろうか。
そんな呆れに加えて少しの嬉しさで可笑しくて、つい笑みが溢れた。


「予定変更するか」

「変更ですか?でも…」

額を合わせて土方が笑めば、拒否はしないものの沖田はその意図を察して言葉を選んでいる。
今日は、楽しみにしていた夜祭りのひとつだ。なにかと祭好きな土方は、随分前から気合いを入れて予定を立てていて。
夜店であれこれを買って、秘密の特等席で夜空に浮かぶ大輪を見ようと、虫除け線香まで常備して、戦闘服を着込み。意気込んで来た訳だし。
だからこそ、沖田は即答が出来ないのだが、


「虫が出そうな所は、行かないに越した事ァねぇさ」


行くぞと土方が手を取れば、沖田は指を絡めることで了承を示した。




カラン、コロン。


すっかり日の暮れた夏の夜空に、心地好い下駄の音が響く。


カラン、コロン。
カラン、コロン。


楽しげな喧騒の方ではなく、それとは逆の灯りへと向かうその音は、片方がどこか緊張を帯びていて。
けれど、なんだかとても、嬉しそうで跳ねてるようで

カラン、コロン。と
心まで映す夏の音。









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