Paordy-novel

□バレンタインってやつは…!
1ページ/1ページ


ああああああああ……!!

やっちまった。こうなると分かっていたのに。こんな事になると、容易に想像は出来たのに。
つい、うっかり、一時の感情に流され、ものの弾みと言うやつで…やってしまった。
土方は、その身が床にめり込んでしまいそうな程に両膝と両手を床につけて項垂れていた。


本日はバレンタインデー。
恋のイベントとして世界中にその名を馳せる愛の日の代名詞。
男女共に誰もが浮き足立ち、街中に甘いモノが溢れかえる日である。
近頃では、友チョコやら逆チョコなどが巷で出回り。
取り敢えず親交の証しとして贈り物を渡すと言う単なる風習と一般化しているような気もするが、
土方も例外では無く…と言うか、強制的に参加せざるを得ない状況にあった。

始めは、こんな風習や流行りに目がない榎本の些細な願いだ。
君からの逆チョコが欲しい。と要求された。

土方は世間様のイベントに疎い。寧ろ、嫌忌の念すらある。
特に、このバレンタインに関しては、
その容姿からして過去には甘い物を不得意としているにも関わらず手に余る程の物を貰い受け。
翌月にはホワイトデーなる日に見返りを求められる。
正直、面倒くさい事この上無いので関わりたく無いのが本音。と世間の男子を敵に回すような事を思うし。
そもそもチョコの需要を増やそうとした菓子屋の陰謀だろう。と思う。

しかし、そんな土方を動かしたのは他成らぬ榎本だった。
逆チョコとか流行りに乗っかりたいだけなのか分からないが、土方から贈られたいと自棄に拘り。
そんな自分は、その要求と共に真っ赤な薔薇の花束を土方に渡した。
バレンタインと言う祭は、意中の相手に想いを表す為、その想いが強いほど赤い色の薔薇を贈るのが本来の姿なのだ。
だから、部屋の脇で花瓶に挿される赤すぎて黒くも見える深い深紅の薔薇を見て、土方が意を決し行動したのは昼間の事だった。



そして用意したチョコレートだが
今、その姿は跡形も無い。


しょうがねぇな。と思いながらも、しっかりウキウキ気分で、
しかも、どうせなら手作りしてやろうとチョコレートを作っている最中、
親友の伊庭から襲撃された。
この親友の場合はイベントに参加意欲がある訳でも無く、食に目がないだけで狙いは勿論友チョコである。
そこは土方も想定してたから驚く事じゃ無かった。
律儀にも伊庭の分も用意をしておいた。
伊達に昔馴染みをしている訳じゃない。

「トシさんチョコ〜〜」

「うるせぇな。もう少し待てねぇか」


完成間近になったチョコ。
その時だった
家の呼鈴が鳴り。土方は、リビングを出た。
この時、一瞬でも油断しなければ未来は変わっていたかもしれない。


訪問は只の郵便で、5分もせずに戻って来て、
土方が見たモノは、キッチンに立つ伊庭。そして茶色くテカる口元。
摘まみ食いしやがった。と瞬時に土方は分かったが、伊庭の手元を見ると大きい箱を持っている。
それこそが、榎本仕様(ブランデー多め)のチョコ。


「このクソ野郎ーー!!」

土方は天罰とばかりに伊庭へ飛び蹴りをくらわせた。
そんな八つ当たりをしても、チョコは戻ってこないと分かっているけども、せずには居られなかった。

そして、本当の災難はここからである。

榎本にその事を正直に告げたのだけど、
その時、寛大な心と相手を気遣う余裕が両者にあれば事の成り行きは違っていたかもしれない。


「食われた!?」

物凄く土方からのチョコを期待していただけに榎本のショックは大きかった

「アレは事故みたいなモノじゃねぇか。材料も無くなっちまったし…明日にするってのは?」

「今日じゃないと意味ないじゃん!今日が過ぎたらただのお菓子なんだよ!?」

「仕方無ぇし。諦めろよ。たかがチョコの一つでそう目くじら立てるな」

「たかがってッ…!!」

土方の言動一つごとに榎本の額の血管が一本づつ切られてゆく。

「その逆チョコとやらに拘らなくていいだろ?代わりに、」

「オレ。とか言うならお断りだね!そんなんで誤魔化されない!!」

「テメッ、誤魔化されとけよ!そんなのって何だ!?俺をそんなのって言いやがったなッ!!」

元より、ちっとも大人気無い上に気の長くない両者。
瞬く間に口論へ発展し。
榎本は、あらゆる暴言を吐き捨て。仕舞いには家を飛び出して行ってしまった。

その後、直ぐは土方も虫の居どころが悪かったものの、1分もせぬ間に後悔の念が押し寄せて来た。

義理チョコや友チョコに留まらず、逆チョコだの流行にまんまと引っ掛かった己をまず悔やむべきか。
そもそも、あれほど忌んでいた筈のバレンタインなるイベントに足を突っ込んでしまった浅はかな己を戒めるべきなのか。
兎にも角にも、世間が愛だの恋だの騒ごうと自分の知った事では無いけども、
榎本は確かに期待していたらしいから、わざわざこの日に喧嘩(ほぼ一方的に怒鳴られただけだが)までする事は無かったと思う。


部屋に佇む深紅の薔薇を眺めると、途端に意気消沈。

今回ばかりは気の短い己の性を少し反省した。
それはもう床に沈んでしまいそうな勢いで土方は項垂れた。新しい材料を買って来て作り直す気力も無い程だ。



しかし榎本の事だから、
暫く外で頭を冷やして落ち着けば戻って来るだろう。
と践んでいたが、その考えこそがチョコのように甘かった。



土方が漸く正気を取り戻した頃には、バレンタインと言う14日は呆気なく終わってしまったのだ。
それなのに、榎本は一向に戻って来なかった。
どこを出歩いてんだ。とか、もう放っておこう。とか、冷めた事を思い苛々したのが一段落すれば、今度は心配事に変わる。
気に掛けないよう自分自身でしても、本心だけは生真面目に意識してしまい。
時計を眺めたり携帯と睨めっこしたり、家を出ようか意を決しても入れ違いになる事を考え断念したり。
様々な思案を脳裏で巡らせていると、
遂に、家の扉の前が騒がしくなった。それは深夜



「バレンッタインデぇーキィッス〜」

深夜にはかなり端迷惑な大音量で聞こえて来るのは、この時期に頻繁に耳にする往年の某アイドルが歌っていた某名曲

「シャラララ〜…」

「今までドコほっつき歩いてやがったっ!」

と、無論、寝ずに待っていた土方が玄関へ向かった瞬間、度肝を抜かれた。
いや既に尋常で無い様子はプンプン漂っているが


「やぁ土方くん!パッピーバレンタインだね〜」

「違うよ圭介、昨日でバレンタイン終わってるしー」

キャイキャイ喚く酔っ払い。いや、紛れもなく榎本と大鳥である。
一気に玄関に充満する酒気に土方は柳眉を吊り上げ、フラフラ千鳥足で肩を支え合っている2人を見た。
この時点で外に放り出してやろうかと思ったが、
どれほど呑んだのか酒豪な榎本も珍しく完全に出来上がっているようだ。
余程チョコがショックだったのか、俄に痛む心は気のせいでは無い

「どこに行ってたってぇ?圭介と遊んでただけだよ。ねぇー?」

「釜さんがウサ晴らし言うからテキトーにパチンコ行ったら思いの外、大勝してなー。その泡銭でパァっ!と呑んでしもうた。なー?」

「ねぇー」

「なー」

「ねぇー」

「もういい、黙れ。ロクでもねぇのは分かった」

見ているだけで酔いそうなほど漂う酒の匂いに、土方は痛んできた頭を押さえ深く溜め息を吐いた。
いま一瞬でも期待を裏切ってしまった榎本に罪悪感を抱いた己を慰めてやりたい

「あー…眠い……。」

「ふあっ!危な…」

突然、大鳥が意識を手放した事で支えていた榎本までバランスを崩し掛けたが、
土方が咄嗟に大鳥の腕を掴み。共倒れを救った。
そして、その腕を肩に乗せ中に運び込む。

自棄になってパチンコ屋で遊んで来たとか、夜中に呑んだ暮れて帰って来るとか、
もうバレンタイン云々どころでも無く。単なる残念な一日だったとしか思えない土方。
大きな鼾を響かせる大鳥をソファーに転がして、再び盛大な溜め息を吐き出した

榎本はソファーの脇で座り込み大鳥を突っついたり悪戯して遊んでいたが弄るのが飽きたのか、
立ち上がった勢いで土方に飛び付き

「はい、バレンタインデーキィッスぅー」

ちゅっと啄む音が鳴って、土方は目を見張った。
引き寄せるよう首に腕を回す榎本が楽し気に笑ったのは一瞬だけで、
次にはトンッと胸板に凭れ掛かって来て、そこで眠ってしまった。



チョコを渡しそびれた挙げ句に喧嘩へ発展し。
唯一触れた唇は酒の味が混じり、服にはパチンコ屋の独特な煙草などの匂いが染み付いてるようだ。
バレンタインらしい可愛気は何一つも無く。残念極まり無い。


しかし、寝室に運んだ榎本が着ていたジャケットのポケットから、
如何にもパチンコの景品らしい普通の板チョコが一枚出てきた。

バレンタインってやつは、やっぱりどうも好きになれそうも無い土方だが、
朝になればおそらく、
そのチョコレートを使ってバレンタインチョコを作り直す事になるだろう







[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ