Paordy-novel
□you like me, dont you?
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その日、榎本武揚は朝から不機嫌を装った上機嫌だった。
実のところ、体は怠い。昨夜はまだ少し早い時間から明け方の少し前まで、全身全霊で土方に祝られた。
それこそ、足の先から指の先、髪の毛の一 本一本に至るまでを丁寧に丁寧に祝い尽くされ、何度降参を口にしただろう。
いつも以上に時間をかけてゆっくりと、くすぐったいほど甘やかされて、理性が飛んだのはいつだったのか覚えていない。 日付を越えたその瞬間は、きっと、多分、おそらく土方の腕の中だった。と思われる。
「ぉ、おい……コーヒー、飲むか?」
「……飲む」
くぁ、と盛大に欠伸をしたところへ、ソファの後ろから遠慮がちな土方の声が降る。肩越しに振り返った先には、両手にそれぞれのカップを持って、気まずそうに眉を下げた土方の顔があった。
自分のカップを受け取って無言で元に向き直れば、背後で息を飲む音が聞こえる。それに少しだけ頬を緩めたのは、土方からは見えていないだろう。 彼がここまで恐縮している理由は、推測するまでもなく明白だ。
二人が目を覚ましてみればすでに時計の針が真上で重なるころで、今日という日を半分も睡眠に費やしてしまった。
柄にも無く開口一番に焦りを見せ、相当に慌てた風で謝罪を口にした土方は中々に面白かったと、淹れたての珈琲を香りごと味わいながら榎本がカップの陰で笑みを浮かべる。
シーツに包まって無言を貫いたこちらに対し、ばたばたと寝室を出て食事の用意をしに行った彼は、もしかしたら冷や汗をだらだらと流していたのかもしれない。こみ上げる笑いを隠していたとも知らずに。
「ひどい奴だよねえ、ホント」
「ぁあ?」
「いや、独り言」
「あ、そう」
我ながら、という部分をあえて喉奥で潰してから呟いた言葉は、聞こえてしまった土方にしてみれば己のことを言われていると思っても仕方のない科白だ。そこも踏まえて自分というやつは大概ひどいと、榎本は大きな窓辺へと視線を向けた。
本日は昨日の酷い雨とは打って変わって、気持ちのいい晴天が広がっている。少し動けば汗がじわりと滲む残暑も終盤。 いい日だと、窓から入り込んだ風に榎本は瞼を閉じて思う。穏やかで、心地の良い、素敵な日だと深く息を吐く。
「あの、よ」
「ん?」
不意に、珍しく向かい側に腰を掛けた土方から、 これまた遠慮を多分に含んだ声がかかる。
そちらを向いてみれば、揃いのマグカップを両手で包んだ土方が、顔を少し逸らしたままにもごもごと口元を惑わせていた。
「なに?」
「だからよ、アレだ…その、そろそろ誰か、来るだろ? だから、その、体とか大丈夫かよ…」
「ふーん、心配?」
「そりゃ、まぁ…一応…」
「今更?」
暗に後の祭りだと告げてやれば、途端にぐっと詰まった土方の顔に気まずさと焦りが見てとれる。今更ですけど、と小さくこぼされた科白は、彼の足もとに落とされた。きっと獣の耳や尻尾が付いていたなら、これ以上落ちようもない程しょんぼりとしているだろう。
現に体中はぎしぎしと痛い。散々啼かされたせいで喉も掠れている。けれど榎本は、それらを厭う気持ちは少しもない。辛くないと言ったら少し嘘が混じってしまうけれど、すべて含めて自分が望んだことでもある。
それに少しも気づいていない彼は、ただ申し訳ないという気持ちだけで今目の前にいる。普段は嫌味なほどにこちらの心情を悟るくせに、こういう時は本当に鈍い。
「別に、平気」
「マジ?」
「平気ってことにしておく」
「っ…」
わざと言葉を選んでやれば、手の中の珈琲を波立たせて土方が途端に固まる。ぴしっと音がしそうなほどのそれに思わず盛大に吹き出せば、 揶揄われたと漸く気付いたのだろう土方が、乱暴にカップをテーブルに置いてすくっと立ち上がった。
けたけたと笑いの止まらない榎本に、笑うなと怒る顔は恥ずかしさからだろう赤い。 その様が余計に榎本のツボを押して、止めようと試みた笑いもぶふっと間抜けな音になって飛び出していった。
「テメ!」
「ふっ、っ、ククッ…冗談、ふはっ」
「ったく…、おちょくりやがって!」
言って傍まで寄ってきた土方がぐしゃぐしゃと乱暴に頭をかき回す。いつもならひとつやふたつの文句も言ったけれど、笑いが先立ってそんな戯れも楽しい。
そのうちに撫でるような仕草にされてしまっては、心まで宥められる様で余計にくすぐったい。
ふぅ、とひとつ大きく息を吐いて笑いを治めれば、見上げた先では漸く笑んだ土方と視線が絡んだ。つられるように、榎本の頬も緩む。
いい日だと、改めて思う。触れる手を取ってみようかと、そんな風に思った矢先、土方の視線が不意に壁へと向けられた。
「やべっ、そろそろ大鳥さんあたり来るんじゃねぇか?」
「ん?」
「どうせ泊まるだろうし、客室の掃除しなきゃなぁ。そのうち松平も来るだろ?」
追うように見上げてみれば、壁掛けの時計がおやつには少し早い時間を示している。朝食兼昼食は先程済ませたばかりだから腹は減っていないが、 土方は客人の為にもお茶の用意を考えているらしい。
面倒くさいと口では言っても、結局のところ土方は面倒見が良い。嫌いだ、苦手だ、という彼らにだって、榎本のために来るというなら話は別なようで、世話を焼き、準備をして、嫌だ嫌だと言いながら最後にはちゃんともてなしている。
それが時々、子供の駄々のように榎本の胸をぐずつかせた。
「今日の夕飯は仕込みしてあるが、伊庭も来んだろ? 荒居さんあたり、なんか差し入れ持って来ねぇかな」
「んーん、来ないよ」
「は?」
ずずっとわざと音をたてながら珈琲を口にして、 榎本が告げる。少し冷めてしまったけれど、味は変わらず榎本を楽しませてくれた。
「荒居さん来ねぇの? っつーことは、ひょっとして今日は呑兵衛だけか……うわ、地獄絵図確定じゃねぇか」
「でも圭介も来ないから」
「え……?」
タロさんも来ない、と付け加えれば、土方の顔が一瞬にして曇る。不機嫌そうに眉を寄せる様を、榎本はカップに隠れてちらと盗み見ていた。
「アイツら、まさか他を優先したんじゃねぇよな。ぶっ飛ばすぞコラ」
「いや、今日は誰も来ないんだって」
断言してみれば、どういうことだとますます機嫌を下げた声で土方が問うた。
「昨日から旅行に行ってるから、私は家に居ないわけ」
「……あ?」
「ついでに君も一緒に」
「…はぁ?……悪ぃ、何言ってんのかよく分かンねぇ」
「だから今日うちに来ても誰もいないから、誰も来ない。ってこと」
「……なんだそりゃ…?」
飲み干したカップをテーブルに置いた榎本に、土方はどさりと隣へ腰を下ろしながら顔を覗き込んできた。
突然おかしなことを言いだした自分を心配しているのだろうと、その真剣な様に思う。けれど残念ながら、今はそれさえも榎本の笑みの種になった。
ふっと綻ばせれば、今度は目を丸くしてこちらを見やる。種明かしをしてやろうかと前置けば、こくこくと頷く土方に、榎本はこっそりと愛しさをつもらせた。
「旅行、行くって言っといた」
「誰に?」
「皆に。君と、今日から遅い夏休みに3日間。因みに場所は内緒で」
「な、なんでだよ…?」
どもる土方が面白い。本当はもう、何故そうしたのか薄々気付いているはずだ。向けられた瞳が俄にご褒美を貰える子供の様に輝いている。
それでもこちらの口から聞きたいのだろうその気持ちは、榎本も分かる気がした。だから少しだけ、意地悪してやろう。
そう思うのも、本日の主役の特権だ。
「誕生日くらいは、静かにゆっくりしたいじゃん?」
「……そ、うか?」
「うん。何?」
「い、いや…」
別に、とこぼした土方の頭が、雄弁にがっかりだと語る。目に見えて項垂れた土方の顔は、もはや見えない。代わりに目の前に差し出されたつむじに、人差し指を突き立てたい衝動に駆られた。
それなら先に言っとけよ、とボソボソ愚痴るくせに、少しもこちらを責めはしない。土方の中で、嬉しさが勝っているんだろうと榎本は思った。すっと持ち上げた指は、そろそろと目的地へと忍んで行く。
「って事は、俺は?まさか、ただの世話役って訳じゃねぇだろ」
もう少し、というところで土方の顔が上がる。俄に嬉しそうにみえなくもない顔だ。 つむじを押し損ねた榎本はチッと内心で舌打ちをした。
人差し指を構えたまま、その期待に満ち満 ちた視線を受け止めるのは、些か間抜けな気がしてならない。 今の様子を第三者の目線で考えたらおかしくて、 つい頬が緩む。
今日はホントに、自分でも思うほ ど機嫌がいい。 だから言葉も、するりと口から零れてくれた。
「まぁ誕生日、だしね」
「お、おぉ……」
「君を独占しても、罰は当たんないよね?」
言った自分の頬は熱くなったけれど、目の前の土方の顔は目を真ん丸くさせ少しだけ空いた口が塞がっておらず。せっかくの顔が如何にも間抜けに固まっていて。
照れ隠しよろしく、つむじの代わりにちょうど良い位置にあった鼻をむにっと押してやった。
終
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Happy Birthday to Enomoto!