Paordy-novel

□Une tete de mule
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「最、悪だ……」

ディスク上に、土方は呟きを吐き捨てた。
卓上の書類に向けて吐いたものでは決してない。仕事に罪はない。
あるのはきっと、昨日の自分だろう。そう思えば今度は、深い深い溜め息が土方の口からこぼれていった。

「……最悪だ」

端的に言えば、昨日喧嘩をした。相手はもちろん彼だ。
この度のきっかけは確か、夕飯後にのんびりと二人揃って一緒に見ていたテレビ番組だ。
出演していた子だったか、CMの子だったか、それはもう既に記憶に無いが、少しグラマーで幼い顔立ちながらもあやうい色気を存分に持ったその女性タレントを土方が目に止めたところから始まった。
『結構好みかもな』
そんな一言だったと思う。それに関して榎本は、自分はこっちの方がいいかもと、清純そうな中にも真の強さを感じさせる女の子を指して言い、そのままお互いの好みを笑いながらやいやい言い合った。
男同士ならよくある光景だ。しかし彼等の場合、単なる男同士ではない。
そこに“恋人同士”というものが加わると、このなんてことはない会話は、時として喧嘩の火種になるらしい。

──そんなに女が良ければ別れてあげようか!?

──そんなこと言ってねぇだろ!テメェこそ女がいいんじゃねぇのかよ!?

──はぁあ!?この間ホステスの名詞背広に入れてた男が言うかな?!

──ありゃ伊庭に付き合わされて行っただけだって言ったろ!捨てるの忘れたって!女々しいこと言ってンじゃねぇよ!

──めっ…あっそう!好きにキャバクラでもどこでも行けば!?このタラシ野郎!

──ああそうかよっ!だったら、

この辺で止めておけばよかった、今更思っても明らかに遅いが、土方は痛むこめかみを指で押さえながら眉間に深く皺を寄せた。

──勝手にしてやるよっ!テメェも良かったな、男なんかの俺と別れるきっかけが出来てよ!

自棄で吐いた自分の言葉が、頭の中でガンガンと鈍く響く。なんて馬鹿な科白だったろう。
売り言葉に買い言葉とはいえ、あれは、言い過ぎた。
憤りに満ちていた榎本の顔が、一瞬にして凍り付いたあの瞬間が目に焼き付いて離れない。
大きく見開かれた丸い瞳が、酷く傷付いたように揺らいでいた。

「……謝んねーと……」

許してもらえないかも、しんねぇけど……

心にも無かった、とは言えない。本当になかったら、形になって口から飛び出すことはないはずだ。
ただ、本心では決してなかった。それだけは神に誓って言える。信心深くは無いが。
本心なわけがない。別れたくなんて、ない。


「何、やってんだ、俺…」

どうしても俯きがちになってしまう頭をぐっと持ち上げ、なんてことはないオフィスの天井にある蛍光灯を仰ぎ見た。
あいにく土方の嘆きを聞く者は居ない。既に就業時間の過ぎたオフィスは、土方の頭上だけ灯りが点され。
その薄暗く殺風景な景色は、まるで今の自分の心情を見ているようだ。
今日は残業終わりに榎本と待ち合わせをして、どこかで食事し、ケーキを買って部屋でゆっくり過ごす予定だった。
時間にすれば半日にも満たないが、それでもこんな日には一緒にいたい。夜は、長い予定だった。

「……最悪、だ」

カレンダーがずらりと赤を連ねる5月の頭。
今年ももれなくやって来た世間は4月の後半から騒ぎ出す大型連休もどこ吹く風か、仕事に追われてあっという間に終盤を迎え。
今日は、土方の誕生日だ。
こんなにも沈んだ気持ちで迎えた誕生日は、初めてではないだろうか。
職場で散々もらったおめでとうと言う言葉も、どこか冷めた気持ちを隠しながら苦笑しつつ素直に受け取っておいた。
彼らに申し訳ない気持ちもあったが、祝われれば祝われるほど切なさが増した。
その言葉を一番最初に貰いたかった人からは、今の時間になっても一言もない。
電話も、メールさえも無いどころか、そもそも携帯電話が鳴ることが無い。
一縷の望みを託し、あんな事を吐き出した自分こそが女々しくもセンターに問い合わせてしまうのが情けなく、土方は胸ポケットの中で携帯電話を握り締めた。


「忘れてる……ってことは、ねぇよな。やっぱ、怒ってんだよ……な」

いや怒っているだけなら、まだ良いだろう。
本当に別れる気になっていたら、どうすれば。
自分で言った言葉なだけに、土方はさすがに滅入っていた。
素直に謝っても許してもらえるか分からないが、今はただ、ただただ、榎本の顔が見たい。
この際、誕生日といっても騒ぐ年でも無いのだから、取り敢えずこの事態を修復するのが最優先だ。
そう思ったらどうしてか、頭上の蛍光灯が鬱陶しい程眩しく感じて、避けるよう俯けば余計に土方の気分が沈んでいく。


「寝てんの?」


覚えず瞼までぎゅっと閉じていた土方に、短い声がかけられた。
聞き間違いでも、幻聴でもない。
弾かれたように部屋の入口へ顔を向ければ、想って止まない、今まさに瞼の裏に思い描いていたその人が、そこにいた。

「あ─…?」

まだ残ってたのかとか、なんでここにとか、昨日は悪かったとか、
言いたいことは次々と浮かんで来るのに、ポカンと間抜けにも開いた土方の口からは、何も出ていかない。
驚きと動揺が、土方の頭の中でぐるぐるとマーブル状に混ざり合っている。
何か言わなくてはと思うのに、じっとこちらを見つめてくる丸い瞳に、体全部が凍ってしまったような気がしてしまう。
そんな土方を知ってか知らずか、片手をズボンのポケットに突っ込んだまま、つかつかと榎本が机まで歩み寄ってきた。
ぎょっとしたのは言うまでもない。距離が縮まるにつれて、土方の鼓動が大きさを増していく。
榎本は涼しい顔をして見えるが、殴られるか、蹴られるか、最悪本当に別れを告げられるか。
思う覚悟はどれもマイナスのものばかりだ。

「ん」

ごくり、覚えず喉を鳴らした土方に、榎本は平然とした顔のまま、
予想のどれにも当てはまらない、手に持っていたビニール袋を渡すという行為に出た。
目前に突き付けられたそれは、見たことのある本屋のものだ。確か榎本ご贔屓の書店だ。

「は…?…なんだ…よ…」

「それじゃ」

「オイっ!」

受け取った早々に返された榎本の踵に、驚きよりも完全に焦りが土方を支配した。
その『それじゃ』は、どう受け取ったらいいのだろうか。
今この場だけのものだと考えられないのは、昨日の己の発言があるからだ。

慌てて追い掛けようと腰を浮かした土方を、けれど不意にくるりと振り返った榎本が視線だけでその足を止めさせた。

「誕生日、おめでとう。」

「なっ……」

完全に、不意打ちだ。
それだけ言って再び歩き出してしまった榎本を、土方は今度こそ追い掛けそびれた。
欲しかった言葉を、欲しかった人から漸くもらえた。
それはもう、確かに嬉しい。

一緒に見せてくれた表情は怒ったものでも、冷めたものでもなくて。そして微笑みでもなかった。
どうしてか、たまに見せる悪戯を仕掛けた時の、勝ち誇ったようなものだった。
ガサッ、と胸に抱いた袋が音を立てる。渡された科白から察すれば、これは誕生日プレゼントということだろうか。

「怒って、ねぇ……?」

榎本とて、昨日の土方の言葉が本心でないと知っているはず。
けれど、それと言葉で傷付けたこととは別のものだと土方は分かっている。
だからこそ、今胸に抱くこの品物が素直に嬉しかった。
このままあの背を追い掛けて行って謝ろう。
本当は性別など関係無い、榎本がいいんだ、と、それこそ本心を口下手な自分だけども、今日は告げよう。
思って土方は、がさりと音を立てる貰ったプレゼントに目を向けた。
これを開けてみてからでも、遅くないだろう。
ごめんと一緒に、先程言いそびれたありがとうも言いたい。
いそいそと袋を止めるテープを剥がす土方の顔には、柄にも無く抑えきれない幸せオーラが滲んでいた。
が、

「……」

袋の中に入っていたそれを取り出してみたら、ふわふわと浮上しかけていた気持ちが、一瞬にして冷却され、地に落ちた。
あわわわと唇が震えている。血の気が退き、背筋には冷たい汗が伝っていく。
固まっている場合じゃないと気付いたのは、それから少し経った後だったかもしれない。
再びそれを袋の中にしまった土方は、持てる力をすべて発揮し、全速力で榎本の後を追い掛けた。

「テメェやっぱすんげぇ怒ってンじゃねーかっ!」

うっかり滲みそうになる涙をなんとか堪えながら走る土方は、袋にしまってしまったその本の裏表紙に小さな紙が貼ってあるのに気付けていない。

『ホテル予約したから』

ちょっとリッチな場所の名前が殴り書かれた小さな手紙は、榎本が土方を許していると教えている。
それに土方が気付けるのは、土方の想い描いた通りに誕生日が終り。日付までが変わってしまってから。
土方が昨夜、好みのタイプだと言った彼女の写真集を、呆れ顔の榎本に促されて再びその手にとってからのことだ。






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榎本さんは、ちゃんと別にプレゼントを用意してると思います。たぶん(笑)

副長Happy Birthday!


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