Paordy-novel

□キャサリンには譲れない
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「はぁ……」

携帯を握り締めたまま吐いた溜め息は、冷えた室内という環境のせいもあってか、開いた状態のそこをうっすらと白く曇らせた。
とうに液晶画面は暗く照明を落としているが、榎本がそれを閉じる気配はない。
もしそこが急に光ったなら、それは榎本が今現在もっとも望む状況に近くなるのだけれど、その気配もまた、ない。

「……はぁ……」

メールが、来ない。電話も、来ない。
とくに用件は無いのだからそれは大した問題ではないのだけれど、何も来ない、というのはそれだけで問題にもなるのだと、榎本は身をもって知った。
今、彼が待っているのは、今夜に海外出張から戻るらしい土方からの連絡だ。
ただ、土方の安否の為に付け加えるが、決して何日も音沙汰がないわけではない。そうなれば榎本も溜め息だけでは済まさないだろう。
彼から榎本の元へメール、または電話の連絡がないのは、携帯の履歴から言えばたかだか4時間という映画にしてみれば2本分の時間だった。

「…なんでなんも言って来ないの」

ぽちっ、と適当なボタンを押せば、途端に液晶に明かりが戻り、何ら変わりない待ち受け画面が現れる。
受信も着信も知らせてくれないそこに、榎本の眉間に皺が寄った。
帰宅した間際に、土方から一通のメールが入った。
勇んで直ぐ返信をしたのだけれど、その後の応答はない。
何か不手際があっただろうかと送信メールを何度も読み返したが、落ち度は見付からなかった。ならば何故返事が来ない、と榎本は思う。

榎本の中では、送った文章が了承の言葉ひとつだったことは、落ち度にならないらしい。

「さては、ロスで引っ掛けた女に空港ロビーで泣き付かれて乗り遅れたんだ。女の名前はキャサリンで、金髪のグラマラスな美女。歳は、大体20代後半の娼婦らへんかなあ…」

ヘラリ、と笑ったがすぐに自分で言って自分で酷く傷つく。
ちょっと洋画を見すぎな頭は、本当に変な妄想だけは広がるわけで。

「いーなー、グラマーな女の子とお付き合いしたい。浮気してんならこっちだって浮気してやるんだから」

浮気を前提に浮気者だとか、色惚け野郎とか、覚えてろよとか、適当にゴロゴロとソファーの上で喚いた挙げ句に今度は

「……腹、減った……」

ぽつりと溢して見上げた時計は、もはや夕食と呼ぶには遅すぎる時間を指している。
一緒に食べようと言われたからその誘いを受けたのに、どこで何を食べるのかも決められず、榎本は大人しく自宅待機を余儀なくされているのだ。
自分があちこち歩き回れば擦れ違い、更に会うのに時間が掛かる可能性をよく分かっているから。
こちらから電話してみようか。思ったけれど、履歴を探る前に榎本は携帯を閉じた。
それじゃあこんな時間まで楽しみに待っていたのにと教えるようなものではないか。

「……あぁー、もう!」

がしがしっと頭を掻いて、体を預けていたソファから勢い良く立ち上がった。
強くはない体が一瞬目眩を訴えるが気付かなかったことにして、キッチンの買い置きリストを頭に描く。
カップ麺はまだ残っていたかな、と昨今栄養管理にもうるさい同僚(松平や大鳥)と、連絡を寄越さない男に止められていた久々のお気に入りを思って榎本は一歩足を踏み出した。
それを止めるように、来客を知らせるインターホンが静かだった室内に響く。
もしかして、と思う間もない。榎本は取り繕うことも忘れて玄関へ飛び出していった。
勢い良く開けたドアの向こうには、両手一杯の袋と、遅れて悪いと鼻の頭を寒さで少し赤くして申し訳なさそうに笑った土方がいた。

「取り敢えず土産の酒だ。それに合うもんでも食わせようと思って、考えながら買い物して来たら遅れた。連絡もしねぇでごめんな」

差し出された紙袋を一つ受け取って抱えると胸の真ん中が、ぎゅっと締め付けられた気がする。榎本は覚えずそこに手をやった。
お帰りとか、そんなことなら一緒に行ったのにとか、伝えたい言葉がたくさん浮かぶ。それなのに口をついて出ていった言葉は、まったく違うものになった。

「…腹減って、死にそう」

「はいよ。えらく不機嫌だな。悪かったって」

靴を脱いで上がる拍子に、チュ。前髪を掻き上げ額にキスを落とされると、たちまち不機嫌だった事も次第にどうでもよくなっていくわけで。
完全に誤魔化されてる…。とわかっていながら、
でも結局は、会えればそれで満足してしまった自分に内心だけで舌を打つ。

「…どうした?まだ怒ってんのか」

「…別に…ま、こんなことをキャサリンにもしたのかなって思って」

「キャサリン?」

「いや、こっちの話し」

不思議そうに首を傾げるが、パタパタと室内に入っていく土方の背中に本日特大の溜め息を吐いた。
ありがとうも言えない自分が、この気持ちを伝えるのは、もう一生無理な気がした。






漸く食事を済ませ後片付けも終え。榎本は溜め息を吐き食後酒にシェリーを傾けつつ、近くのソファに腰掛ける土方を見た。
長い足を組んで、タバコに火を点けている。

「…どうした、不味かったのかよ」

「いいや、美味しかったよ。そうじゃない…」

「あ?」

ニヤリ、と笑みを浮かべた土方はタバコの灰を一度近くにある灰皿に落とした。
そして再び咥えて榎本に、来いよ、と手招きをする。
それに答えるようにして、榎本がグラスを持ったまま近づけば、腰に腕が回り倒れこむように土方の胸元に収まる。

「そう言えば、キャサリンって何だよ」

「ん?」

「さっき言ってただろ。キャサリンがどうって」

「……あぁ…それね」

少しは腕の中から離れようとするがしっかりと腕で固定されているため抜け出せない。
土方はタバコを吸いながら、黙り込む榎本に目線を移して、何をいい淀んでいるのかを既に理解しているように、クツリと笑いそっと頭を撫でる。

「きっとグラマーな金髪美女と浮気でもしてたんじゃないかと思ってさ。ただの妄想かつ皮肉」

「アホか。テメェと一緒にするな」

「失礼なっ!そんなことしませんー」

「じゃあ洋画の見すぎなんじゃねぇの?」

ふん、と鼻を軽く鳴らしてグラスに口を付ける榎本に土方は反対側へ紫煙を吐き、タバコを吸殻の上に乗せた。

「寂しかったならそう言えよ」

「は?…あー、まぁね」

「返事を濁すな」

「なに、急に…」

榎本は鬱陶しそうに眉を吊り上げ土方を睨む。
睨んだものの全く効果はなく、グラスを取り上げられた。

「返してよ、まだ入ってるじゃん」

「質問に答えたら返してやるよ。寂しかったか?」

「聞きたいの?」

「聞きたいから訊いてんだろ?」

ムッと唇を榎本は尖らせたが、直ぐに笑みを零して。
ようやく言う機会に恵まれた言葉と共に、土方の口許を啄んだ。









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