榎本他CP

□これから、共に
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古来より高い航海技術で国家の確立を成すオランダ。
その国に数有る港町の一つドルトレヒトで運営するヒップス・エン・ゾーネン造船所はその日…
時は1865年11月2日
大衆の歓喜に湧いていた


木組みに囲まれ構える一隻の船が、大きな漆黒の船体に陽を一心に浴びて煌々と黒光りを反射している。
それを見詰める幾千の紳士淑女の歓声がメルヴェの河川に谺し。
テープカットが行われ、船体を支える留め具が次々に外される。

すると、架台の上を徐々に勢いを増しながら滑り。
大量の水を押し避け飛沫を高良かに散らした船は、
着水の衝撃に波立ち弾ける水の高さと変わらぬ盛大な喝采が青空に飛び交う中で
アウデ・マース川の水面へ浸った。


榎本は、船が水面に響かせた瞬間の波音を何千人が一斉に挙げた称賛の中で不思議な事に、確かにハッキリ聴いた気がした。
それを例えるならば、胎児が世に生まれ出た時に挙げる産声が相等するだろう。
着工から二年近くを得て漸く、目前の船は初めて水に触れたのだ。

「水上での風格も申し分が無いな。我等が破軍の守護星は」

隣で同じく真っ直ぐ船を見据える赤松大三郎が満足気に呟く。
彼の顔もまた進水式典に集まった民衆と同様に嬉々として高揚している。


榎本、赤松ら日本から遥か離れた欧州の蘭国へ赴いた留学生は「和蘭行御軍艦方」と属された。
内田を筆頭に沢、西、田口など幕府より選抜された合計15人の青年が日本より渡ったのは、これより約三年前の話だ。
西洋列強に圧され翻弄する祖国の存亡の危機に彼等に与えられた大義は、
その西洋の高い知識や文明をあらゆる分野から吸収し伝える事。
そして第一の任は、幕府が発注した最大にして最新鋭の木造軍艦「開陽」の、造船から本国への渡航である

3本マストのシップ型で、長さ、横幅、高さ、どれも木造帆船では類を見ない規模だ。
そもそも海軍を中心として発展途上にある蘭国に於ても、約3000t級の軍艦造船は稀だった。
揺れる国情を想起した榎本が徳川を司る破軍に準え守護星の名を付けたその軍艦は、愛称をVoor lihter…[夜明け前]と呼ばれ。
ドルトレヒトやロッテルダムの庶民から国内中に知れ渡り功績と讃えられた。
更に、海軍関係者や事業を主催する貿易商ら賑わう群衆に混じって集まった幾多の各国記者により、世界中でこの開陽が新聞紙面を飾るだろう。

世界から注目を浴びるその船がいま正に水上に浮かび息吹きを始めたと同時に、榎本は身体の真が震え上がった。
そして次の時には敷き詰められた石畳を蹴り出し、船へ目掛け駆けていた。

背後で赤松が驚いた声を出したが構わず。
船から出入りする人を掻き分け榎本は乗り込んだ。



真っ先に甲板で主力マストの前に立ち見上げると、
高々と聳えるマストの頭上には、何処までも蒼く清々しい青空が拡がっている。
その空に似た海原へ、白い帆を張り、この船が颯爽と滑ったらさぞかし美しいだろう

そして、未だ行く末を暗中模索する故郷の海に浮かべる事が出来れば、
必ずやその名の通り、夜明けへと導く糧に成る筈だ。

機関技術や航海術を専攻する榎本は欧州諸国の国際政治の現場を目の当たりし。
率先して経済や外交、法律学を學び。中でも出逢った「国際法規と外交」と言うフランスの本から得た海律に魅せられ。
それこそが周囲を海で囲まれた島国である祖国に相応しいモノだと確信出来た。


日本はどう在れど確実に変わる。
いや、今こそが変わるべき時なのだ。
それを委ねられたのが己であり、誕生したこの船だ。


榎本は右手の白い手袋を脱いでマストに置いた。


「Leuk je.Voor lihter……いや、開陽。君に逢えてとても嬉しい」



遠くではいつまでも止まない大きな喝采が聞こえる。

日本史上最大の木造軍艦開陽丸は幾多の人々の希望と期待を寄せ、その誕生を歓迎された。


終 2010:11.16執筆

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