榎本他CP

□初春到来
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何かと騒々しい時勢の中でも無事に迎えたお正月。
その新年騒ぎも一段落した江戸下町の旗本組屋敷一角にある榎本宅に、荒井が訪れた。

「釜さん、初詣、行かない?」

なんの前触れもなく、開口一番に訊かれた榎本。
二人が通う學門所も荒井が通う道場もまだ正月休みが続いていて、わざわざ挨拶にでも来たのか、はたまた荒井の事だから雑煮やお汁粉でも食べに来たのか、
いや鏡開きはまだ先だから少し気が早いんじゃないかと思えば、なんの脈絡もない。
しかも本日は6日。お正月と言うには今頃かと思わないではいられない。
玄関で出迎えたた榎本の前には、キラキラと目を輝かせた荒井が正座をして返答を待っている。背後に揺れる尻尾が見える気がする。

「…折角だけど、もう初詣は姉さん達と行ったんだけど」

「あぁ、うん、僕も叔父上と行った。いや…その、初詣って言うか…まだ出店とか出てるみたいだし…、」

語尾がボソボソと弱り、俯きかけた荒井の顔を下から覗き込むようにしてやったら、ぱちりとかち合った目が途端に泳いだ。
それを榎本は疑問に思いつつ、取り敢えず出掛けるのは構わないから了承した。

「そっか、じゃあ謹吾たちも誘ってみる?」

「いや、待って・・・」

支度して来ようと中へ頭を返した榎本を、荒井が制止した。
訝しんでいる間に荒井の頬は何故だか赤く染まりだし、口はぱくぱくと空気を食んでいる。
何を焦っているんだろうと、内心面白く思い始めた榎本に、漸く荒井のぽそぽそと呟く声が控えめに届いた


「で、デートの、お誘い……なんだけど……」

「えっ……でっ!?」

ちらっ、と上目に伺う荒井に、とんでもなく間抜けな声が漏れる。
最近になって蘭学や洋語に手を出してみた榎本だが、まさか、學門所の講義が無い日は様々な道場に通い詰め武芸に熱心らしい荒井からそんな単語が出てくるとは、
いや、よもや自分が生まれて初めてその単語を耳にしたのが、この男の口からだとは思いも寄らず。
一瞬にして、体温が上がったのが分かった。








祭り特有の匂いが辺り一面に泳いでいる。イカ焼き、タイ焼き、金魚すくいの水の匂い、水あめの甘い匂い。どれも否応なしに心を踊らされる匂いばかりだ。
お面を付けて駆け回る子供や、風車の紙の音や、耳に流れ込む喧騒も、今は不思議と心地好い。
新年のめでたさも、人々がやけに浮足立っている要因かもしれない。

「ね、お腹すいてない?先になんか食べる?」

「んー、タイ焼きがいいかな」

「わかった!それなら餡が多そうな店探そうっ」

そう宣言して、張り切って辺りに目を光らせる荒井に、榎本は遠慮せず声を零して笑った。
デート、という言葉に釣られた…とは思いたくはないけれど、実際こうして祭の中に二人揃って歩いている。
あの後、赤面した荒井に倣うほど真っ赤に染まった顔で榎本は、それなら二人で、と了承を口にした。
あの時の、花が咲いたような荒井の嬉しそうな顔は、今思い出してもこちらまで頬が緩んでしまう。

「あ、輪投げもする?自信あるんだよ僕。景品取ってあげようか」

「それで外したら大笑いだね。何も取れなかったら、何してもらおうかなー?」

「えっ、罰あるの?」

「全部おごりとか?」

「…お年玉の中身、確認してからでいい?」

口にしたばかりの自信はどこやったんだと腕をぺしりと叩いてやれば、いいとこ見せようとカッコつけて外しそうなんだ、と
今が特別な時間だということを、荒井の照れた横顔が突然思い出させる。
外しているのは、お互いの羽目かもしれない。
榎本はそっと懐に手を入れて考えた。いつから、こうして一緒に祭へ行きたいと思っていてくれたのだろう。

「ねぇ、郁さん」

「うん?あ、タイ焼き屋!アンコ多いかなっ!?」

「ありがと、」

「えっ……」

誘ってくれて、連れ出してくれて、一緒に来たいと望んでくれて、嬉しかった。
そう思ったら言葉が零れていった。
するりと手が懐から出て行き、荒井の指を掴んでいた

「また、来ようね……祭」

ごった返す人の流れの中で、胸から下は中々見えないと分かっていても、手を繋ぐ勇気は榎本にはない。
それでも触れたいと思ったから、荒井の指を二本だけ、きゅっと掴んだ。
ぴくり、跳ねた指で荒井の動揺が見える。
他人に見られる前に放してしまおう。そう思って力を抜きかけた手を、今度は荒井の手に掴まれた。
思わず弾かれたように上げた榎本の瞳には、予想した荒井の顔が映らない。
変わりに痛そうにさえ見える真っ赤になった耳が、今の荒井を教えていた。冬の寒さの所為では無さそうだ

「今そういうこと、なんで言うかな……」

ぎゅっと握ってきた掌は、若干汗ばんでいる。
冬なのに、同じような状態になっているだろう榎本には理由は容易に分かる。
科白は責めているのに、その音が少しもそうは聞かせない。
照れが満面に見える荒井の横顔に、榎本は遠慮せず吹き出した。途端に非難が飛んで来るが、今の榎本には少しも堪えない。

ああ、なんて楽しいんだろう。なんて嬉しいんだろう。思えば思うほど、笑いは途絶えてくれない。
榎本は滲んだ涙を指の背で拭って、少々臍が曲がりかけている荒井の手をくいっと引いた。

「ね、また来るよね?」

手を繋ぐのさえ緊張して出来なかったこれ迄の時間が、今では少し擽ったく思う。去年より、昨日より、この間より、荒井が近い。
今年は、明日はきっと、もう少し近くなっているかもしれない。思って榎本は、漸く自分を見てくれた荒井にニッと笑って見せた。

「来る!ぜったい来るよ!何回でも来るし、他にも、花見とか夏祭りとか、もっといっぱい色んなところ2人で行こうっ!でも、今は目先のタイ焼き屋だ!」

「う、うんっ!」



そうして駆け出した二人の新年、初春の日。




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矢田堀先生主人公の某小説で二人の幼馴染みな設定が好物でして(←)新年と掛けて初々しさを求めてみました!

いくにょ様リクエスト有り難うございました!




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