土方受箱novel

□冷えた酒と男の泪
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ここ箱館には、
居留外国人専用の酒屋や。ドレスで着飾る遊女の居る遊廓も、手軽な小料理屋も些細な居酒屋も揃う。
初めて松平がこの地を踏んだ時は驚かされたものだ。
辺境の地と言われ、極寒の場所が、これほど恵まれていたのかと。

現在、深い雪に包まれて静まるこの地が雪解けを待って芽吹けば、活気を増して更に繁盛するのだろう。
それは江戸表にも負けぬと榎本が言っていた。

しかし、この冬が終わるその時にこの地が迎えるのは、ただ一つ…。




夜の帳が降りて。松平が独り、気軽に立ち寄るようになった市街の外れにある居酒屋の戸を開いた
そこで、見慣れぬ光景が目に飛び込んだ。

店の隅にある台に、背中を丸めて突っ伏しているのは珍しい先客。

それが土方に間違い無いのだが、彼は下戸の筈だ。
会食と言う名目の立派な宴会の席で毎回、酒を誤魔化すのを知っている。
それが、いま見る限り一人で項垂れながら手酌で酒を注いでは煽っているのだから驚かないでは居られない

これは一体・・・?

松平は静かに土方の元へ近付き台の上に黒革で誂える手袋で隠す掌をソッと置いた。
すると、土方が顔を上げ。目が合った瞬間、
松平は密かにまた驚く。

どれほど酒が入っているのか知らないが、
いつも血の気が足りなさそうな土方の白い顔は仄かに色付き。
吊り上がり気味の眼は眠そうに見える程すっかり垂れ下がり、眼の奥が熱で潤るんでいる。
土方は直ぐに認識出来なかったようで、その目を微かに揺らし瞬きさせた後、
フッと口端を歪めた

「……タロさんか」

「ご一緒しても…?」

酒気を帯びる土方にやはり一瞬でも動揺せずには居られ無いが、
松平は直ぐに平時の微笑を取り戻し。
あぁ。と一言土方の声を聞き。向かい合わせの椅子を引いた。

「…丁度いい。取り敢えず、まぁ飲めよ」

土方はのろのろ動いて松平のグラスを用意し、琥珀色の酒を注ぐ。

「貴方が洋酒とはまた…、深酒が過ぎるようで」

「そうだな。迷惑は掛けねぇよ。明日もキッチリ働くさ」

土方は微笑い、また軽々とグラスを煽り。
それを尻目に松平は手袋を外して背広の胸から渡来品のシュガーケースを出す

「如何です?」

貰おう。と土方は嬉しそうに一本葉巻を取った。

「来たのがタロさんで良かったな」

松平が一口、酒で口を湿らせた時、土方から静かに話を切り出したのだ。
笑いを含ませ冗談めいて言う土方を見れば、さっそく旨そうに横を向いて紫煙を吐き出している。
言葉を待つ松平に、土方は笑みを深めた

「コレが大鳥さんなら小言の一つも聞かされてらァ」

「私も深酒が過ぎる。とは言ったが」

「でも、止める訳でもあるめぇ」

「貴方が悪酔いしようが、二日酔いしようが、私の知った事でも関与すべき事でも無いでしょう?」

グラスを進めながら、松平は、それに。と続ける

「いま、迷惑は掛け無いと言っただろ?貴方が滞り無く働く。なら構わないと思っただけのこと」

少なくなったグラスを置く代わりに、葉巻を口に宛がえ火を灯す。
一息、吸い込んだ時に、
向かい側からクスリと笑い声を聞いた

「俺、テメェのそう言うところ嫌いじゃねぇよ」

笑みを絶えず言った土方。
酔っ払いの戯れ言か、気紛れの徒言にしか聞こえ無いのだから特に相手をせず、
松平は、ただ横目を向けて葉巻を燻らす。

「本気にしてねぇだろ」

「いや、とても光栄だ」

「ウソ臭ぇ」

カラカラ声を出して笑い始めた土方は、松平のグラスへ酒を継ぎ足し。
唐突に話題を変えた。


「常勝将軍だとよ、俺が」

ポツリと呟き。土方は机に伏せる。
そこから視線を逸らして、
ほぅ。と、にべも無く松平は相槌を返した

「仄めかしたの、アンタだろ?」

「それは、何を根拠に?」

「根拠は無ぇが、心当たりもアンタしか無ぇよ」

何の話だ。と松平は知らぬ素振りでグラスに口付け。
その深い苦味のある洋酒で喉を潤す。
土方は視線だけを上げ、その双眸を細めた

「常勝なんざ、まず組の連中が使うような言葉じゃ無ぇし。士官も歩兵も、俺がなにも勝ち続けてる訳じゃねぇ事ぐらい分かってる筈だ」

「では、私が故意に仕組んだとでも?」

「アレだけ自尊心が強い榎本さんや大鳥さんが、生身の人間を信心するとは思えねぇけど?」

土方は体勢を起こして頬杖を付き松平を見据える

「アンタなら、何か特が有りゃするンじゃねぇかと」

「私は、信仰の類いに興味無いが」

「それでも利に叶えば話しは別だ。って言っただろ。タロさんだからな」

口調はあくまでも陽気だ。
松平は、ゆっくり深く息を吐くのと一緒に煙を吐き出し、土方を見返した

「確かに、皆が一丸に挙って立てるような…開陽に代わるモノが今の我等には必要だと思ったまでだ。貴方の名前が、打ってつけだろう」

「途端に軍神だの何だの騒ぎ立てやがって。滑稽だな、笑えるほどに」

「所詮はそんなものさ。皆が皆、貴方や榎本さん達のよう強いわけじゃ無いのだから」

それで…?と松平が穏やかに微笑い聞き返すと、
土方は喉を震わせながら紫煙を辺りに漂わせ。

グラスを手に持ち肘を付いて少し前屈みになり、松平の顔面間近に迫った

「なにも、責めるつもりは無ぇよ?妥当だと言いてぇンだ」

「妥当…?」

「俺は、あの2人のように能も学も無ぇし。タロさんみたいに利口な訳でもねぇからよ。妥当な使い道なんじゃねぇの?」

弁舌なのは酒のお陰だろう。軽く言ってのける土方は笑うのを止めず、
松平は俄に眉をひそめた。

「聞き出して満足しましたか?この話しと貴方が此所に居るのと、関係があるんでは?」

「特に意味なんざねぇよ」

土方は椅子の背凭れに片腕を掛けて項垂れるよう凭れ、少ないグラスの残りを一思いに傾けた。
そしてまた、唐突に口火を切った。

「特に意味も無ぇんだけど、アンタに礼がしたい」

「礼とは…?」

土方は葉巻を灰皿に押し付け。口端を曲げて

「俺を抱くのと、俺に抱かれるの、どっちがいい?」

単刀直入に言った。

松平が期待した質問の答えでも無ければ、余りにも話が飛躍したものだから、
眼を丸くさせ、向かい側の綺麗な男が見せる微笑を眺めた
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