土方受novel

□願わくば、桜の頃に
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四月に入ってまだ片手でも数える程しか経っていないため、うっすら春の匂いを含ませる風の生暖かさが、妙に不快に感じた。
縁側に佇む自分の周囲を勝手に流れているそれを吸い込むと、胸に何か詰まらせたような感覚が起こり、無性に掻き毟りたくなる。


走馬灯ってのは死に逝く奴が見るモノだと言うから、
いま自分の脳裏に過るモノが走馬灯だとしたら、俺は
ここで死んじまっても構わない。と思っているのかもしれない。
死を口にしているのは俺では無くて、目の前に居る男であり。
俺は黙ってそれを聞きながら、この男の死を突き付けられているだけだ。
そして頭の中で様々な考えと感情が入り乱れ、
それと同時に正しく走馬灯の如く、ふと思い出した。
目の前の男が、家族や友達とも違う、特別な存在になった時の事を。



それは、十を過ぎたばかりの俺が江戸へ奉公に行った事からだ。
ただ、俺は直ぐそこを脱け出し。夜通し甲州街道を歩き続け、日野の実家に逃げ帰った。
そして疲れ果てながら家に辿り着けば、待ち受けてたのは兄貴達の説教だ。
当然ながら家族は俺を快く迎え入れてくれなかった。
歩き疲れ千切れそうな足で正座をさせられる上から、頭ごなしに怒鳴り付けられるのを坦々と堪え続け。
そして理由を問われた時、俺は嘘をついた。
奉公先で番頭に言い寄られ手籠めにされ掛けたなど、
子供ながらに持ち合わせていた男気で、そう簡単には人に、家族だからこそ尚、打ち明けられる筈も無く。
番頭に叱られたから出てきてやったとでっち上げた。
今思えば、典型的な悪餓鬼だった俺はソレまでにも、悪戯の為の、怒られない為の、些細な嘘を数々ついていただろうが、
この時の嘘は生まれて始めて、面白くも悲しくも悔しくも無い言い様の無い憤りがあった。
それから、周囲の俺に対する評価も散々で、我が儘だとか、根性も我慢も足りない。と言われ放題だった。
そもそも、奉公こそが最もな真っ当の道だと言われるがまま行かされただけなのだから、俺の意思など始めから有りはしない。
それを言うと、幾らガキで非力と言えど、一度行ったモノを呆気なく放り出し、逃げ出したのが正しかったのかも分からない。
だから嘘をついたうえでの説教も言われ放題なのも、俺は反発しようと思わなかった。
その時の俺は、世の中の事さえ録に知る由も無く、何が真っ当かなどと判断する術も無く、
流石に十を過ぎたばかりでは、家出しようにも転がり込ませてくれるような女も(まだ)居る筈もなく。
不貞腐れる度に朝一で家を独り飛び出しては、日がな一日を川の畔でただ過ごしていた。

そんな時だった。その頃にはまだ勝太と名乗っていた近藤さんが、俺に声を掛けて来たのは。


「よぉ、なにしてンだ?」

まず俺の目に映ったのは、少し使い古された竹刀。
寝転ぶ俺を真横から覗き込んで来て、顔に対して少し大きめな口が、ニィと俺の真上で緩んだ。
何をしていると聞かれても、川原に寝転ぶ俺はどう見たって、何もしていない。
いちいち昼寝してたと説明しろとでも言うのか、
それとも何でここに居るのかを聞いているのか、
元より愛想が良いわけでも、機嫌が良いわけでも無い俺は相手にするのが面倒で
当然のように無視して目を綴じると、何故かその男も当然のように俺の横に座り込んだ。
別にソコが俺の土地でも、特等席でも無いが、なに勝手に座ってンだ。と薄く開いた横目で見遣ると、

「オメェ、朝からソコに居るよな。昨日も一昨日も、その前も」

近藤さんは川の向こう岸に向かって言った。
その横顔が、川の向こう岸の奥にある夕日で橙色一色に染められていた為、
俺はいつの間にか日が暮れそうなのに気付いた。
本当に俺は、何をする訳でも無く、何を思う訳でも無く、昨日も一昨日もその前も、ここに居た。
と言う事は、それに気付いていたこの男もここを三日は通り続けているわけで、

「アンタは、何でここを通ってンだ?」

俺が聞くと、何がそんなに嬉しかったのか、振り向いた満面に刻まれる笑みが深まり。
そして、八重歯を惜し気もなく剥き出して「稽古」と言った。

「毎日稽古してンだ。俺ァは武士に成るから」

その時から、この男の二言目と言えばそれだった。
声変わりの途中で少し掠れた太い声で言い切るのが、自棄に俺の耳に残った。


「なぁ、オメェ家は?どこの子だ?」

一度口火を俺から切ったのが切っ掛けになったようで、近藤さんは矢次に質問を並べ始めるが、
軽く人間不信に陥っていた俺には、もともと相手をする気も無かったし、身の上を話す義理も無いわけで。
なんだコイツ。俺に構わず早く行やがれ。と心の中で毒づきながら、
ただ黙って再び目を閉じ、寝返って近藤さんに背を向けた。
それでも、無視を決め込んだ俺の空気を物ともせず、近藤さんにはそこを離れる気配は無かった。
本当に嫌なら俺が何処でも行けばいいようなものだが、俺が最初に居た場所だから、それはなにか違う。
近藤さんが諦めるか、俺が諦めるか、どちらが早く立ち上がるか根比べなら上等だ。と俺も妙な炎に駈られて寝たふりを続け、
近藤さんも一人言(俺に話し掛けている訳だが俺が答えないため只の一人言)を勝手に続けて居たかと思えば、不意に、聞き捨てならない言葉が飛んできた

「おぃ、家とか名前くらい教えてくれよ。もしかして行くとこ無ぇのか?それならどうだ、俺に付いて来ないか?無愛想だが、オメェすげぇ美人だし。俺の嫁にならねぇか?」

どうやら俺は、ナンパをされているようだ。
そして、なんか色んな大切な事をすっ飛ばして、嫁に来いなどと縁談を持ち掛けられてるようだ。
唯でさえ男に言い寄られた事で嫌気が差していた上に、この男とは幾年も変わらないだろうに俺は声変わりもまだで、体格も二回りは違うようで、
だからそう勘違いされ声を掛けられとあっては、流石に俺も、無視などしている余裕を無くし。
起き上がり様に睨み付けた

「…なんだ、嫌か?俺が武士に成ったら武家の嫁さんだぞ?不満か?」

「当たり前ぇだ。ふざけんな」

「ふざけて言ったんじゃねぇよ。今日始めて声を掛けたが、オメェをいつもここで見掛けてて、気になってたのは本当だ」

「それがふざてるってンだ!テメェの目は節穴か!?俺ァは男だっ!!」


「………マジでか。」


呆気に取られるがまま目を丸くさせ固まる近藤さん。
どこか遠くからカラスの鳴き声が届いてくる。

不本意ながら俺は、一人の男の初恋ってやつを完膚無きまでに壊してしまったようだ。
そして俺は、そんな事に同情する余地もなく、遂に立ち上がって着物の袖をたくし上げ。
この頃はドスなんて有ったモノじゃないが、精一杯の見栄を訊かせて言った

「馬鹿にしてンのか!ヤル気なら相手にしてやらァ」

「わっ、分かった!分かったから落ち着け!喧嘩を売るつもりねぇから。勘違いした俺が悪かった。謝る」

あっさり引き下がった近藤さんは苦笑しつつ頭を下げたから、
俺は一つ鼻を鳴らして、男だと強調するようドカッと胡座で座り直す。
その様を近藤さんは何故かニコニコと眺めていて次は

「男なら尚に好都合だ。俺と一緒に、オメェも武士に成りゃあいい。なぁ?」

さも、名案だろ。と言うような口振りで、近藤さんは言い出した。
もう驚きや怒りや呆れや何もかも通り越して、
ホント、なにコイツ。もう面倒くせぇ。そろそろ腹減ったし帰ェってやろうかな。と俺が感嘆を漏らすと、
やっぱり、俺の放つ構うな空気を近藤さんはちっとも読んでくれず、

「俺と二人で武士になって、天下でも取ってやるンだよ」

「テメェ、歌舞伎の見すぎか?冗談なら余所で言え」

「冗談じゃねぇよ。俺ァは本気だ。絶対いつか一端の武士に成る」

武士に成る。と、言う文句が、俺の頭の中に浸透するよう入り込んで来た。
さっきから何度も繰り返されるその言葉と、この男の俄に掠れた低い声は、
女に間違われ、男に言い寄られるような俺にとって、
とても魅力的に映り。羨ましく思えたと同時に、嫉妬にも似たような妬みも感じた。

「あっそう。勝手に成ってろ。俺の知ったこっちゃねぇや」

「お前ェは、武士に成りたいと思わないのか?」

どこか驚いたような、不思議そうな顔をして首を傾げられた。が、俺の方が不思議で成らない。
何で、いま会ったばっかの俺なんかにそんな話をするんだろうか。
しかも自分で女と間違えて声を掛けた奴に、今度は、男なら一緒に天下を取ってやろうなんざ、よっぽどの変わり者だ。
そもそも俺の事を何も知らないクセに。

「成るとか成りたいとか、そんなんじゃねぇ。俺には無理だ」

「無理?なんでだよ。誰がそんなこと決めた」

「無理に決まってンだろ」

俯く俺の顔を覗き見る近藤さんは、俺が冷たくあしらう程度じゃ引き下がりそうも無く。
ただじっと俺の顔を見詰め。どうしたって問い詰めるつもりのようで、
俺が口を割らない間、少しの沈黙。川の水音だけが辺りに流れ。
次第に妙に気まずくて、俺は遂に根負けして、口火を切った。

「俺ァ、何したって駄目な奴だから…」

「駄目な奴なのか?オメェが?」

そう聞いてくる近藤さんに俺は、何もかも洗いざらいぶち撒けてやる事にした。
例えかなり変な奴相手でも、この時ばかりは、言い様の無い憤りも蟠りも何もかも吐き出してしまいたかったのかもしれない。
勿論、男に襲われたとまでは言わないが。
奉公先を出てきた事も、それ故に、我慢も出来ない根性無しだと周囲から言われている事も、そして一人でこんな所で不貞腐れている事も、全て話した。
半ば愚痴のようなそれを、近藤さんは黙ってただ聞き続け。
俺が話し終った頃合いには、日が川原の更に奥の畑の地平線に顔を半分沈めていた。

「俺ァは、情けねぇ奴だ。それが武士なんざ、成れるモノなら天と地がひっくり返ェるゼ」

仕舞いには、俺は冗談めいて言い捨てた。
自棄になってでも虚栄を張らなければ、情けない。と自嘲など出来ない。
ただ、軽く汗ばんだ掌で握る拳が、見ては分からない程度に震えるのを押さえらるほど、俺は大人でも無く

「じぁな。俺ァは帰る」

途端に居心地が悪くなって、俺が立ち上がると、
近藤さんは突然、ふっ、と吹き出し。

そして事もあろうに、その場で腹を抱えて踞り。
俺が、軽く困惑した瞬間でけぇその口を開け、河原に響く程の大笑いを始めた。

「っ、テメ、」

「ぃや、ワリィワリィ…っくく」

「喧嘩売ってンだろっ!!やっぱ喧嘩売りに来たンだろテメェっ!!」

「だから違う!売ってない!売ってねぇから買わなくていい!」

「うっせぇえ!馬鹿にしてンだろうがっ!?」

今度こそ完全に頭に血が昇り。胸ぐらを鷲掴み、押し倒してそのまま上に馬乗りに乗り上げ、
俺が振り降ろした拳は、
男の顔の横で、パシッと音を立てて手首が掴まれた事で、簡単に止まった。

「お前ェ、ホント喧嘩っ早い奴だな。それだけ負けん気ある奴が叱られたくれぇで店から逃げ出すったァ、どうもおかしい」

「…─あ?」

俺の手首を掴んだまま近藤さんは身体を起こすから、俺は近藤さんの膝の上に乗っている状態で、
やっぱり一回り以上は体格が違うのが気に食わない。
放せと手首を振りほどこうとしたが、逃がさないと言わんばかりにグッと掴まれた手は魚籠ともせず。
そして、近藤さんは一人で何かを考えながら眉を寄せて唸り始めた。

「俺は、オメェが情けねぇ奴とは思えねぇけど?」

「なに…?」

「家、どこだよ」

「…石田村、」

訳も分からずただ咄嗟に答えてしまった俺。
近藤さんは、ふ〜ん。と、ただ納得して、

「店からあの距離を一晩歩き続けたってぇのか。なにが根性無しだよ。たいした根性じゃねぇか」

俺には無理だ。と、頷いた

「本当に、叱られただけで出てきたのか?何か相当な理由があったんだろ。そうでもねぇと、こんな細っせぇ足で我慢して歩こうなんざ、考えるかってンだ」

どうやら、それが俺の話を聞いた近藤さんの見解で。
近藤さんは、だから、と続けて、

「お前は、根性無しでも、我慢が出来ねぇ奴でも、情けねぇ奴でもねぇ。テメェで情けねぇと言い聞かせてるだけの奴だな」


やっぱり大口を大きく開けて笑ったこの日会ったばかりの近藤さんが、
まるで今まで俺を見てきたように言うのも、それを否定しようにも否定する道理もない俺自身も、
悔しくて仕方無く。つくづく捻くれた餓鬼だと思う。
そして、解ってもらえたと言う嬉しさと一緒に、目尻が疼くのがどうしようも無くて、

「偉そうに、言うな…」

「偉そうついでに言いたいンだけどよ。オメェも武士に成れるって訳だ」

「…ホントかよ」

「俺が必ずきっと成るから、お前も一緒に成るンだよ」

「それはさっき聞いた」

「お前、名前は?いい加減教えてくれてもいいだろ」

「……歳三」

「じゃあ…、歳だな。俺は勝太だ。俺とお前ェは、今から同志な」

「…分かった。」

一つ頷くと、近藤さんは俺を膝から降ろし。立ち上がって、帰るか。と俺の手を握った。それは暖かい。
俺の目が水分で歪み霞んでいたから、転ばないように
ゆっくり歩き出した近藤さんに引かれるがまま着いて行くだけだったのが、
不意に近藤さんの足が止まった。

「歳、また明日もあそこに居るだけなら花見するか」

「花見?」

近藤さんが上を向いていて、俺も見上げれば、
二人のその頭上には、ポツポツ花を付けた桜の木の枝だが拡がっていた。

「俺ァさ、花の中では桜が一番好きなんだよ。武士の花だからな」

近藤さんはまた口を大きく横に開いて屈託も無く顔を綻ばせた。


誰もが俺を見限っていた中で、唯一この男は俺を理解してくれて、
武士に成る。とか、同志。とか、そんな大層な希望も関係も、勿論、近藤さんの望だから大切だろうが、

ガキでまだ何も知らない俺にとっては、
この時からこの人の、その存在だけでも、充分だと思えた。
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