土方受novel
□ALTRUISM
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一枚の手紙に軽く目を通しただけでグシャと握り潰したトシは、俺の視線に気づくと舌打ちを一つした。
どこか外から聞こえてくる打ち水を撒く涼しげな音に、子供の楽しげな声は、今からの話にはとても不釣り合いな音だった。
「また別れたのか」
「アンタに関係ねぇだろ」
「まだ一ヶ月も経ってないんじゃないか?」
わざとらしい溜息とともに、トシは紙屑となったそれを机に放り投げた。
「気が合わなかった。それが分かった以上、付き合い続けたって意味ねえし」
「オメェさ、人のこと、本気で好きになったことないだろ」
「きめえ」
机に頬杖をつき、気だるげな視線をこっちに投げかける。
「そーいうこと、マジな顔して言うなよ」
俳諧にでもなんの、と問う奴の安い笑みはもう見飽きた。
「寂しくねぇのか、こんなことばっかりしてよ」
「アンタには関係ねぇっつってンだろ」
「かわいそうなんだよ」
「同情すんのか、俺に」
「違う、オメェと付き合った子たちが可哀想だ」
その言葉に、ぴくりと奴の指先が反応した。
「彼女、泣いてたぞ」
一瞬、トシが目を丸くする。瞬きの後にはその表情は消えていたが、発した言葉の語尾は不自然に高かった。
「は、なんでオメェがそんなこと知ってんだよ」
「彼女が俺のところに泣きついてきたんだ」
がたっと大げさな音ともにトシの頬杖が崩れた。 頬をすべった手のひらは握り拳になり、今度は驚愕の表情を隠すこともせず、揺れる瞳が俺を捉え た。
「アンタのところに?」
「あぁ、そのときにはもう目が真っ赤だった」
「なんであいつが道場を知ってんだ」
「お前が居るかもって、わざわざココを探して来たらしい」
「ヤったのか」
なんて不躾な質問だ。眉をひそめる俺に、トシは知ってか知らずか詰め寄せる。
「お前なぁ…」
「でも泊まったんだろ、アイツ」
「……彼女は少し酔ってたし、もう夜も遅かった」
「うわ、確信犯だよ」
彼女はひたすら泣いていた。本気で好きだったんだと、何を言われても未だどうしようもな いくらいコイツが好きなんだと涙を流し続け、最後には泣き疲れ眠った。
「そういう言い方やめろよ!お前は分からねぇのか?好きなひとに拒絶されるのって辛いんだよ。酒に走りたくなったり、誰かに相談したくもなるんだ。自分のこと好きでいてくれる人を、無下に扱うなよ」
思わず声を張り上げると、トシは途端におろおろと様子を変えた。
「な、なに怒ってんだよ」
「怒るに決まってるだろ」
「意味わかんねえ、なんだよ勝っちゃん、アイツに惚れた?」
「誰がそんな話をしたんだ。オメェって奴ぁ本当に」
だめだ話にならない。自分が興奮し てしまっているのも、トシがそれに戸惑っているのもわかった。
一旦時間を置こうと背を向け足を進 めると、トシが立ち上がり俺の腕を掴んだ。その時、ばしゃんと外から水音がした。
「おい、待てよ。怒んなよ、謝るから」
「俺に謝ってどうする」
「わかった、ならまたアイツと付き合えばいいんだろ?」
呆れた。 掴まれた手を振り払い部屋を出た。後ろからかけられる声も聞こえないふりをして歩き続ける。このまま消えちまおうと思ったのに、待ての声が震えて聞こえてしまい、ぎょっとして振り返った。
「おま、なに泣いてんだよ」
「泣いてねえし」
「泣きそうだ」
慌てて駆け寄り頬に触れると「触んな」とかぶりを振られた。
先ほどまで俺の腕を掴んでいたのは誰だよ。
「ほんと、お前ぇさ、なんだよ。女のことばっか庇ってさ。泊めるとか、だめだろ。アンタ誰にでも優しすぎんだよ。じゃなくて、俺が泊まるって言ったら面倒くさそうな顔するくせにさ、 何なんだよ」
だってコイツ、朝起きないし、稽古はしねぇし、世話してやっても家事も料理も上手なくせにぜんぶ宗次郎にさせようとするし、 泊まるとなったら住み着く勢いで一週間は居座るし、そのくせ帰るときは何も言わずにいなくなるし、
「人のこと好きになったことないとか、俺には分かんねぇとか、んだよ。決めつけんなよ。なんにも知らねえくせに。俺だって、おれだってな、まじで、もう、くそ」
ぎりぎりのところを表面張力で保っていた涙がついにこぼれ落ち、ポロポロと赤い頬を流れてい く。
「自分のこと好きでいてくれるやつを、無下に扱うなよ」
あーあ、コイツは、都合がいいと叱るべきか、不器用すぎると涙を拭ってやるべきなのか。
終