黒×榎novel

□He is none the better for it
1ページ/1ページ



榎本が厨に顔を出した丁度の時に、小鉢にシシャモの煮付けと徳利が調理台に用意されていた。

「榎本判官、ただいまお部屋にお持ちしようと…」

「うん」

眺めているのに気付いた男を手招くと駆け寄って来た

「これ黒田の酒?」

「はい、中身は焼酎ですよ。長官が御国から送ってもらった物だそうで、今から温めようと」

ふ〜ん。と榎本は、にべもない返事をして徳利を一つ手にすると
躊躇なくソレを口へ一気に煽った

「あ!判官!?」

男が慌てて取り返そうとしたが、半分ほど飲み干し。
唖然と口をぽっかり開けている男を余所に徳利を手に突き返して、榎本は平然と笑った

「水入れてお湯割りで宜しく」

「えぇ…?」

「薄くでいいよ。黒田は酔うと人が変わるからね、少し粗っぽくなるって言うか…」

「はぁ、あんなにも温厚な長官が…ですか?」

榎本は笑みを苦笑に変え。
ついでにシシャモを一匹、摘まみ食いした

「とにかく、あまり呑ませるモノじゃない」

「ですが、」

「大丈夫、バレやしないって」

肩をすぼめシシャモの尻を噛む八重歯の前に人差し指を一本立てる。
その無邪気に見える仕草に男が目を丸くさせ(俄に頬を染め)ているのを気にせず、
榎本は再び宜しくと一言念を押して厨を出た。




温厚な人。誰もが口を揃えてそう表す男は、一見すれば剛胆な体格に強面だけど、
それに似合わず根は本当に温厚で、人好きで、純朴で、屈託も無くて、誰よりも優しく、時に不器用だ。

ただ、その誰よりも優し過ぎる部分と、少し不器用な部分が
自分自身を追い込んでいる。

あまりにも他人の事を想い尽くして、誰にも何も言わず。
全てを自身で抱え込んだ挙げ句に、酒へ逃げるのだ。




「了介」

部屋へ入って名を呼ぶと、こちらを見て、ふにゃりとでも効果音が付きそうな気の抜けた顔をした。
手元に隠していたのか、既に一つの空瓶がテーブルの上に横たわっている

また、度数の高い洋酒を…。

国本をこよなく愛する男だから、わざわざ洋酒を空けている様を見ると、敢えて毒でも食らったかのよう映る

「了介、もしかして一人でソレ呑んだの?少しくらい私に分けてくれてもいーじゃん」

冗談めいて近付き、長椅子に掛ける黒田の横に腰を降ろした。
黒田の手元には、半分も満たない琥珀色の液が入るウィスキーグラスが握られている。

そこに榎本は手を添え、
取り上げようとしたものの、
まるで物ともせず黒田はグイッとグラスの中身を全て飲み干した

「ここに居る者で榎本さぁくらいじゃ、オイを了介ち呼ぶんは」

「うん、」

持っていた手を呆気なく手放し。硝子の厚い空のグラスはゴロンと床に転がった。
その掌は次に横の榎本へ伸びて、腕を腰に回してグッと引き寄せる。
そして胸板に埋まり擦り付く頭を、榎本は抱き込んだ

「オイは何も出来ん。ただ、西郷さぁの変わりに戦しとっただけじゃ…そいを誰も分かっとらんで長官様、長官様て」

戦争の事を出されて榎本はつい、返事を詰まらせてしまったが、
相手は酔っている。
黒田はけして素面なら過去の話しは持ち出さないし。
例え誰かが振ったとしても業を煮やす。榎本の前では尚更に、絶対に。

それを確かに分かっているから榎本は、うん。とまた頷き、
更に深く黒田を抱き止め、額に口付けた。


「長官でも清隆でも、了介は、了介だよ。あの時に私を救ってくれた優しいままの」

随分と固く太い質の髪を、あやすように撫でてやる。そうすれば満足したのか柔らかく微笑みを浮かべた。

「榎本さぁ、あいがと」

胸元の位置から上向きに首を伸ばされ、ネダるような眼と視線が交わり、
榎本は笑い返しながら顔を近付けた


その時、扉がノックされ。強引に黒田を引き剥がす

「榎本さぁいたい」

「酒が来たんだよ」

立ち上がり口を尖らせる黒田を無視して扉を開くと、厨で酒を頼んだ男だ

「ありがとう」

「ぉ、おおお邪魔、でしたか?」

「ん?別に…?」

入口に立つ榎本のその奥に、とてつもなく大きな低気圧がある。
ソファーの上に一頭の熊がいる。今にも襲い掛かって来そうな熊だ。
男は榎本に徳利が乗るお盆を突き付け、一礼してからそそくさと逃げた。
それを榎本は?と首を傾げていたが、手水でも我慢してたのか。と受け流す

ソファーに戻り隣に座り直すと、黒田の機嫌も直る。


「コレ呑んだら今日はもう仕舞いね」

「あい」


そう素直に笑う黒田の顔にはもう、疲れも陰も消えていた。





He is none the better for it

(だからって彼がそれでよくなった訳ではない)





[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ