土×榎novel-SS

□Tutto a posto.
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昼下がりのとある商家。

「動くなっ!」
「!」

キャー!

一発の銃声と、男の怒鳴り声と、店内に響いた女性の甲高い悲鳴に、土方も榎本もビクリと肩を震わせた。
榎本の手にあった商品(木箱に入る煙草の葉)が床に落ちる。
そして素早く視線を巡らせて状況を把握した榎本が、青筋を浮かばせわなわなと奮えだした。
恐怖のあまり…、なんて訳ではもちろんない。
顔色の悪い榎本を慰めるでもなく、土方もどこか遠い目をしていた。

「君さ…」

「…あ?」

「マジで一回お払い行ってきなよ。ヤバイよ。きっと君に掛かってる積年の怨念が…」

「うるせぇ…」

「今日はゆっくり出来ると思ったのに…!」

反応の薄い土方に榎本は肩を項垂れため息を零しながら、実は続いていた押し入りからの要求――手を挙げろ、一カ所に集まれ――に応じる。
周りには恐怖で青ざめ涙ぐむ、という真っ当な反応を示す店員を含めた幾人かの人々。
榎本の口からまた大きなため息が零れた。







「さっさと金を出せ!!」

ああ、なんでこんな事に、と榎本は右斜め前方で自分と同じく両手を上げている土方を見つめた。
その土方は榎本の視線に気付く様子もなく、全身を黒い洋服で包んだ男達をじっと探るように見つめている。
どうせ見つめるなら、あんなむっさい黒ずくめの男達よりもすぐ傍にいる恋人にしてくれればいいのに、と、まるで緊張感のない思考が巡ったが、すぐ馬鹿馬鹿しいとその考えを放棄した。
今の土方はきっと、一歩前に居るのは自分を庇っているのだろうが、榎本のことなど頭の隅にもないに違いないのだろう。

出無精なこの恋人を必死にあの手この手で懐柔し、幸いにもお互いの時間が空いたこの日に、やっとの事で実現に漕ぎ着けた久々のデートを満喫していたのに。
バーで美味しいコーヒーとワインに舌鼓を打ち、まあまあ機嫌が良さそうな土方と連れ立って街を物色し。
ぶらぶらした後は、こっそりと予約していたディナーに行くつもりだったのに。
煙草を買うと言った土方に付き合い、小間物屋に足を踏み入れたのが運の尽き。

単砲なんか値は張るけど今ではちょっと裕福な者であれば町人だって買えるし。況してやココは国内有数の海外貿易港だ。入手は困難じゃない。
そして数々の公使館や大きい商家が並んでいる。近頃、それが焼き討ちされたり押し入り強盗に遭ったりと治安は少々よろしくない。
と新選組が嘆いているのも、もちろん榎本は知らないわけじゃなくて。
そもそも、自分達の命を狙う者は少なくないと、嫌な自負もあって。
それがたった2人きりで街中をぶらぶらしているのだから、奇襲されたりして、
と冗談めいて言った直後に現れた黒服の男達。
感じたのは恐怖でも焦りでもなくて、呆れと諦めと、デートを邪魔したことへのちょっぴりの怒り。
これではせっかくの計画もぱぁになった、と逃れられない運命に榎本は乾いた笑いが浮かぶのを止められなかった。

「…何笑ってやがる」

あれ、と榎本は器用に片眉を上げた。
こちらにはまるで関心は向いてないと思っていたが、意外にもカケラでも意識は一緒にいた恋人に残っていたらしい。珍しいことだ。

「別に?」

ごまかそうと薄く笑ってみるが、余計にキツイ目付きで睨まれて肩を竦めた。
冷めた目付きは不機嫌の現れだろう。
そして、その不機嫌は楽しいところを邪魔された事実に加えて、邪魔をしたのが一目でわかるド三流だったから。かもしれない。
アチラも洋服だけど自軍の者では無さそうで、規律を乱す不逞な輩とは違うし。自分達に目もくれず喚いているから、2人の首を狙った襲撃とも様子が違う。
言ってしまえば、本当の単なる押し入り強盗らしい。白昼堂々と押し入って直ぐ側の港から船で向こう側へ渡るか、海外へ高飛びか。
威嚇に一発放ったことから銃は本物だとわかったが、不慣れなその様子から銃を扱ったことは少ないとも知れた。
店員に指示を出し客を脅す態度は尊大にしようとはしているが、どこか落ち着かず、榎本や土方にとってはいまいち迫力に欠ける。
一流の強盗犯を望む訳ではないが、相手がこうも素人では不謹慎だが白刃同士の斬り合いや戦場独特のスリルもない。これでは巻き込まれ損だ。
榎本の読みはそんなところで、実際そう外れてはいないのだ。
せっかくの楽しみを邪魔された挙げ句になんの対価もない現実に、土方はうんざりしていた。

土方はちらりと横に視線を流し、退屈そうな緊張感のない榎本の顔を見て思う。なにを安心しきってやがる。と。
端から見れば、一応は命の危機に晒されているような事態だ。どこまでも危機感が薄いのか何なのか土方はわからないが、これが本当の奇襲だったとしても榎本は平然としていそうだ。
自分の立場をわかっているのかと説教してもいいが、それが信頼の証と言わそうでもある。いや、コイツなら絶対そう言ってくるに違いない。
そしたら上手く丸め込まれる感が不本意だが、自分はぐうの音も出ないのだ。
自分の側で大人しく、更に小憎たらしく笑っている相手を土方は半眼で睨む。
当の榎本はなんとものほほんと、諦めの篭ったため息を零した。

「これってさ運命だよね。もう仕方無いよ。君の所為だね」

意地悪な物言いに、土方は拗ねた子供のように口をへの字にした。
本来榎本は運命など信じていないし、よしんばあったとしても自分で切り開くタイプだ。自分ではない何か得体の知れないものに流されるなど、冗談ではない。
けれど、たまたま選んだ日の、たまたま居合わせたこの時間この場所で、こんな事態に遭遇するとは、もう必然だったんじゃないかと思う。
それか、運命なんて言う少しばかり非現実的なものも信じそうになってしまう。
数々の障害は有るが、恋人の地位を掴み取ってこうして居るようになった2人が、無事何事もなくデートが出来た回数が片手で足りるのは、
お互いが忙しい立場という事情も含めて、デートの度に遭遇する強弱大小様々な事故や刺客のせいだろう。
それは現この国の最高位な榎本を狙ったモノであったり。予てよりその名を轟かす猛将土方を狙ったモノであったりする。けども、
榎本に言わせれば、自分も負けず劣らずトラブルメーカーだそうだが、出歩く時は松平や護衛数人を連れ立っているとは言えこんなことは滅多にないのだから、これはやはり土方のせいなのだと榎本は思っている。

「俺のせいじゃねぇ。今日はアンタがあんな軽はずみな冗談を言ったからだ」

「まぁ仮にそうだとしてもさ、君の場合自分から飛び込んでくじゃん」

「一応それは俺の義務だ。それにテメェも人のこと言えねぇだろうが」

先週のあれとか先月の買い出しの時のあれとか。
土方はそれほど強い正義感を持ち合わせているつもりは無いが、街の治安維持を任される者としては、
例えば、逢い引き中だろうが、非番の夜中でベットの中で2人くんづほぐれつしていようが、街で何かあれば無視は出来ない。
そして榎本は持ち前の性か正義感がある。

「テメェの立場も弁えねぇで、子供が迷子になっても独りで一日中方々を勝手に歩き回ったりするよなぁ、アンタ」

「……」

含みを持たせ、かつトラブルに飛び込んだ具体例を挙げると、反論出来ないのが悔しい榎本はむぅと膨れっ面になった。土方は喉を小さくクツクツと鳴らす。
ホールドアップなんて状態でなければ、土方は榎本のその細い髪を撫で回してたかもしれない。
もっとも、そんなことをすれば膨れっ面は修羅の形相へ早変わりして、弾丸のような罵倒を頂戴する事になるのだろうけれど。
それは勘弁、と小さく頭を振ったところで。

「そこ!さっきから何話してやがる!」

犯人の1人が2人を睨んで怒鳴った。

「ああ、コレってやっぱり必然…?」

「だろうさ」

表情をちらとも変えずに言い切った土方が格好いい。言い回しもなんだか流石と言いたくなる。
そんじょそこらの奴が口にしたとてお笑いにしかならないような台詞もさらりとキメてしまえるのは天性な一種のカリスマ性と…本人の羞恥心のなさ故だろう。こういうのは恥ずかしがっている方が滑稽だ。
まあ、銃を突き付けられている現状では、そんな土方の姿もあまり堪能出来ないけれど。
嘆息した榎本には、周りで上がった小さな悲鳴はどこか人事のように聞こえていた。

「ぼそぼそと何話してやがったんだ、あぁ!?」

チャキ、と突き付けられたのは本物の銃なのにあまり危機感がないのは、積み重ねてきた経験に裏付けられて確信している実力差故だ。隣にいるのが誰よりも頼りになる恋人だからというのもある。
天下を震撼させる剣豪集団の鬼の副長に、自分だって外国語が解ると言うだけで命を狙われる時代より伊達に洋服を着ていないのだ、そうそう遅れは取らない。
見交わした視線が、お互い同じ気持ちなんだと語っていた。
なんだか必死に虚勢を張っている犯人の様が、いっそ笑いを誘って哀れだった。


「何…って言われても…」

「そりゃ…なぁ?」

「ん」

具体的なことは何一つ言わない会話。それだけで榎本も土方もお互い何をしたいのか伝わる。
2人にとってはいつものことだが、当然犯人にそれがわかるはずもない。
馬鹿にされているとしか取れない態度に、銃で脅しているにも関わらずまるで怯んだ素振りのない2人への焦燥に似た苛立ちも相俟って、かっと頭に血が昇った

「このヤロ…ぅあっ!」

ガッ!!

男が引き金に指をかけるのと、土方の足が翻るのは同時だった。
軽やかに一閃した脚は綺麗な弧を描き、構えていた銃を跳ね飛ばす。
蹴り飛ばされたそれはカラカラと無機質な音を立てて床を滑り、小さな音を立てて壁にぶつかった。
土方は勢いのままに一歩踏み出し、反対の脚で背後にいたもう1人の犯人へ。
まさか反撃があるとは思ってもいなかった犯人は、反撃はおろか防御をしようとする間もなく腹に一撃を喰らい、短いうめき声を上げたのみで崩れ落ちた。
軽いフットワークは舞いのようにすら見えたが、その衝撃が見た目と反して重いというのは、うずくまる2人の犯人が体で証明していた。
ふっ、と軽い嘲笑いの如く詰めていた息を吐き出した土方と、その土方を酔心した目で見つめる榎本以外はただ呆然と立ち尽くす。
恐怖に固まっていた人質も今からこの場を支配しようと息巻いていた犯人たちも、当然こんな展開はまるで予想していなかった。
しかし、いつまでぼんやりと眺めている訳にもいかないとばかりに犯人の1人が慌ててその手にある銃を構えた。
4人の犯人のうち2人もが一見優男にも見える土方にあっという間に沈められて、動揺を隠せない。
しかし、ここで逃げる訳にもいかなかった。咄嗟の事に標準を合わせるなどとは考える余裕はなかったが、とにかくあの邪魔者を排除しようと、ただそれだけを考えて引き金を絞った。

響く銃声――上がる悲鳴。刹那の後に流れた、赤。
飛び出した凶器は、しかしその標的を傷つけることは出来なかった。

「おい…!」

「っ…」

血を滴らせているのは、犯人が狙った土方ではなく、咄嗟に間に入った榎本だった。
銃の狙いがどこに向いているのかに気付いた時には、自分のピストルを出すことも発砲を止めるにも既に遅すぎて。何かを考える前に、榎本の体は飛び出し土方の体を庇っていた。
ただし銃の扱いにはド素人な犯人のおかげでろくに標準も定まっていなかった銃弾は、榎本の頬を掠めて向かいの壁にめり込むのみで他の人質を傷つけることはなかった。幸いにも。
榎本は軽く火傷したよう痛む頬から血を指先で拭う。
当の犯人は、自身が発砲し人に当たった事実に呆然としているかのように蒼白になって手を震わせていた。
倒れている2人と、今発砲した男、そして店員に商品や金を詰め込ませることも忘れこれまた青くなっている男が1人。
平然としていることを期待していた訳ではないが、踏み込んで来た全員がこれでは強盗犯としてはあまりにお粗末だと、榎本は頬の傷も忘れて秘かに呆れた。
罪意識を抱くくらないなら始めから人様を気付けるような行為は慎め。と諭したいくらいだ。
そう他所に向いていた意識は、無言で頬に触れた指により一瞬で土方に戻った。

「ぁ・・・。」

ヤバイ、と榎本は思った。
たいした傷ではないと土方がわからぬ筈もないのに、こちらを黙ってただ見詰めてくる表情から一切の感情が、消えていた。
それは決まって土方が心に血も涙も無い冷酷な感情を抱いている時に見せるモノだ。榎本までも背筋が凍った気がした。
いや、その気持ちは嬉しいが、心配させるのは本意ではないし事実心配するほどの事でもない。榎本は誤魔化すようように苦笑した。
でも土方の顔から強張りは取れることはなく。俯いた拍子に流れた前髪が、その顔の半分を隠してしまって表情を伺うことが出来ない。
榎本は訝しげに覗き込もうとして、ぽつりと聞こえた低い呟きにギクリと肩を揺らした。


「………ヤる」

「ぇ、ちょ、…」

なんとも物騒な呟きにたらりと冷や汗が流れた。
おどろおどろしい空気は犯人達よりよほど凶悪だ。
大の男だって泣き出しそうな(実際泣かせてる)、物理的な圧力すらありそうなそれに加えて、氷のよう冷ややかとしか思えない微笑。だが目が笑っていない。
緩められた口許とは裏腹に黒曜石のような瞳だけが、まるで全身の感情をそこに集約したかのように煌々と炎を宿していた。
ああ、と榎本は天を仰ぎたくなった。
―――鬼神降臨。
本当に恐ろしいもの程見た目は美しいものだ。
自然も神も普段は穏やかで美しく人々に安らぎを与えるが、その逆鱗に触れ一度牙を剥けば、もはや人には怒りが鎮まるのを待つ以外に為す術はない。
榎本は哀れな犯人たちに心の中で十字を切った。
もっとも、それほど信仰心の厚くない榎本の祈りでは、たいしたご加護は得られまいが。

「手当ては後だ。少し待ってろ」

「…うん」

手当てなんて大袈裟な掠り傷だが。
そこから指先で拭った血を更に赤々しい舌で舐め取る土方の仕草、やけに口調が穏やかな言葉に、
もはやかける言葉も見つけられない榎本は、ただ頷きを返すのみ。
拳銃を向けている男達との間合いを詰める足取りは、場違いな程とても優雅に見えた。



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