土×榎novel-SS

□昔の今頃、隣には君がいた
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帰宅してすぐ、自室のベッドに倒れこんだ。
疲れた…。
こんな日は早く風呂に入って寝てしまおう。
そう思っていたのに、ふいに感じた香りが榎本の記憶を呼び覚ました。


「………煙草臭い……」

髪や服に着いたのだろう煙り臭さが、榎本の眉根を寄せる。
吸ったのは自分も含めてだから嫌悪を抱く程の匂いではないが、胸を掻き毟られるような寂寥にかられるのもまた事実。






『吸い過ぎだって!この前も言ったよね』

『俺が幾ら吸おうが、俺の勝手だろ?』

いつも文句は投げたが、煙草をもつ指先も、紫煙を燻らせ笑う口許も、
一度も口にはしなかったけど、煙る中で見るその姿が本当は好きだった。


『その言い草、大人気ない…』

『アンタは可愛げがないな。素直に俺の体が心配だって言えば可愛いモノを』

『言ったら煙草止める?』

『止めるわけねぇだろ』

『でしょ?だから言わない』

『やっぱ可愛げねぇ…』

『男に可愛げなんて必要?』

揶揄うように笑うと頭を撫でてくる手。それを、勢い良く振り払ったものだ、と榎本は思う。
いくら睨み付けても少しも様子を変えず、でも、吊り上がる目を緩ませ、優しく見つめ返された。



『アンタが酒止めたら俺も、コレ止めてやろうか?』

『言ったね…?まぁ腎臓が土に還るまで止める予定は無いけどね』

『じゃあ俺も、もう死ぬまで止められねぇだろうな』



酒の量は相変わらず。いや、少し増えたかもしれない。手に入り易くなった。
最近は貿易も物流も産業も目まぐるしく発達したこの国で、自分は息苦しいようでも、有意義に暮らしている。
やりたい事が、やらないと成らないと思う事が、まだ山程ある。
嘗てそう笑ったあの人は、今の自分を見て何と言葉をよこすだろうかと考えて榎本は、見えない答えに思考を中断させた。
いつも何を考えているのか掴めない人だったから、
きっと自分の考え方の範疇を越えてくるに決まっている。そう思って、榎本は覚えず頬を緩めた。



「榎本さぁ…?風呂は?」

「んっ?…ん、今行く」

開けたままだった扉を小さく叩いた音に次いで、寝ていると思ったのか、黒田の遠慮がちな声が届く。
疲労を訴える体にこのまま眠ってしまいたかったけれど、動くたびに匂う煙り臭さは、早々に落としてしまいたい。

「今夜は冷えもす、ちゃんと温まってくいや」

「はいはい、そうするよ」

母親のような口をきいて黒田は、予想していたのだろう榎本の返事に苦笑を溢す

「良いコニャック貰いもした。あがったらご馳走しもんそ」

そう残して暗い廊下へ消えていった。




「…可愛げがない、か…」

同じ台詞を、この年になっても言われたのはつい最近だっただろうか。
やはり同じ言葉で返した自分は、あの頃から何も変わらないと榎本は自身に呆れて頬を掻いた。
年ばかり多くなっても、彼の人には決して勝てないだろうと。




「了介ぇー、先に開けたら承知しないからね。ぜんぶ呑みきっちゃうんだから」

「あう」


それでも、根比べくらいはしたかったと、香る懐かしい煙の匂いを落としに榎本は廊下へと身を滑らせた。












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