土×榎novel-SS

□Tutto a posto.
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少し高台の上にある屋敷の窓から見える夜景は、絶景とまではいかないがそれなりに見映えのするものだった。
雪は降っておらず、煌めく街の色と港に点々と停泊する帆船の灯りと、漁り火。
綺麗なのに見る余裕もこれから少なくなりそうなのはちょっと惜しい、と榎本は小さく笑った。

ガチャリとドアが開き、ほこほこと体から湯気をたてる土方が入ってきて、榎本は窓の外に向けていた視線を室内に向けた。
土方はまだ水が滴る髪を乱暴にガシガシと手拭いで掻き回している。
榎本が同じようにしてあげようとすれば髪が傷むと怒る癖に、と思って、実際に以前それを告げたらけろりと『うるせぇ』と答えられて脱力した記憶があるため、榎本も口に出したりはしなかった。
──腹いせにわざと乱暴に拭いたり拭かなかったりして土方を振り回したりはするけれど。
今回も、土方の前に風呂に入ったにも関わらず、未だ風呂上がりの土方と同じくらい髪が濡れている榎本に土方はやや呆れたように、
長椅子に腰を落ち着け榎本を手招き床に座らせ、その頭に手拭いを被せた。

「だーから、髪拭けっていつも言ってんだろ」

「君が拭くんだから別にいいじゃん」

文句を言いながらも榎本の甘えが嬉しいのだと、声とガラスに映った顔からはっきりとわかる。
水分を拭う柔らかな手つきに、布で見えない事を承知で榎本はこっそり笑った。
しばし沈黙が落ち、髪を拭く布の擦れる音と微かな息遣いだけが部屋を満たす。
居心地のいい空間に榎本の目がとろんとしたところで、パサリと手拭いは取り払われた。指がしっとりと冷たい髪を軽く整える。

「おし、と。…眠いか?」

「ん…いや、平気」

榎本がふると頭を揺らすと、幾分軽くなった髪が跳ねて微かに石鹸の香りがした。
踵を返して隣に腰を下ろす榎本を目で追った土方は、そこにある物に首を傾げた。確か風呂に入る前はなかったものだ。

「…先に開けてなかったのか?」

ローテーブルの上に鎮座しているのは、氷で冷やされているワイン。
しかし、その瓶はどう見てもヴィンテージものだ。
更によく考えれば、土方には買ってやった覚えも買わせた覚えも無い代物だ。

「まさか、アンタ…」

「そのまさか」

してやったり、と唇を吊り上げた榎本は得意げだが、反対に土方は眉を吊り上げ煙草を咥えた。

「幾らたまたま居合わせたってもありゃ仕事の内だ。断れよ」

「断ったよ。そんなつもりじゃないって、でもどうしてもお礼に受け取ってほしいって」

そのフルボディのラベルを見ながら榎本は、ついでにこんな予定でもなかったのに…、と儚く消えた計画に小さくため息をついた。

夜の予約していた店には、予定の時間を大幅に過ぎそうでキャンセルしたのだ。
新選組が現場に到着したのが午後4時前後だと榎本は記憶している。
それから犯人の身柄引き渡しと、詰所では土方直々の事情聴取と諸々の事後処理。
そして(これが1番長かった)松平からのお説教だ。一応は榎本が怪我をしたと言うことで様子を見に来た松平。
言葉の端々に土方への信頼と榎本の無茶への諦めが垣間見えたが、大人しく一緒に黙って説教されるがままの土方が榎本の笑いを誘った。もちろん、榎本も洩れなくお叱りは頂戴したが。
他に島田が土方に泣き付いていたりもしたが結局は、お咎めなし。…いや、2人で勝手に歩き回るなと言ったところで素直にきく2人じゃないから無駄であり、
要用心せよ。という結論に落ち着いたのが午後8時。
9時に漸く食事にありつき適当に済ませて。23時を回った頃に屋敷に戻り風呂に入れば、
あっという間に、今日という日は終わろうとしている。とにかく慌ただしかった

唯一の救いと言えば、店の主人がなかなかの酒肴をしてるのか、お礼にと渡されたワインは確かに銘酒だ。
榎本の視線での要求に従って土方は、ワインが注がれたグラスを手に取る。
よく磨かれたガラスの中で赤がゆらりと揺れた。

「じゃあ、取り敢えずお疲れさんって事で」

触れ合わせたグラスが、チンと涼しげに鳴った。



グラスとワインが洋燈に照らされて光を弾く。
(ちゃっかりお礼にコレも頂いた)チョコレートを摘みながら他愛もない会話が続く中で、
土方の目が探るように榎本を見つめた。榎本が視線で促せば、ぽつりと心配を滲ませた声で思いを零す。

「…痕は残らねぇな」

一瞬なんのことだろうと考えた榎本だったが、土方の視線の先にあるのが犯人とやり合っている最中についた頬の傷だと気付いて、ふわりと蕩けるように笑った。
血も止まった傷は、意識をしなければ忘れてしまうような些細なもの。それを、修羅場をくぐり抜けて来た土方がわからないはずもないのに。
指先で触れた傷は小さく熱を持っていて、うっすらと染まった頬が風呂上がりやワインの香りで酔ったためではないと知っていれば、
土方としてもその少し辛口な酒を甘受するのも吝かではない。くすりと笑って、榎本のグラスにボトルを傾ける。


「これくらい大丈夫だって。舐めときゃ治るよ」

「頬なんて自分で舐めらんねぇだろ」

頬から指を離さず、にんまりと浮かぶ意地悪な笑顔を隠そうともせずに榎本の顔を覗き込む。

「ああ、舐めてくれって、誘ってんのか?」

予想通りに真っ赤になった榎本が勢いよく土方から離れる。
あまりの勢いのよさに若干寂しく思いながらも、手が離れたほどの距離では無く上目遣いに睨んでくる榎本もまた楽しくて、
それに予定を狂わされ気落ちしていたが少しは元気を取り戻したようだと嬉しくなった、ところで。
―――ぺろり

「!!!??」

温かく濡れた感触とじくりとした一瞬の痛み、それから微かな吐息。
はっと息を飲み、舐められた場所を手で押さえて呆然としている榎本に見つめられて、土方は口許を歪める

「アンタに借りが出来たから、ちゃんと返さねぇとな」

「…それ返した事になる?寧ろ君が更に貰ってる感がある気がするけど」

「いや、そこは休日手当てだろうが」

ゆるゆると榎本の頬にも熱が昇り、傷に当てていた手で赤い顔を隠し熱をなんとか納めたが、
その顔が土方の方へ手で促され。素直に顔を向けた榎本が見たのは、蕩けそうな土方の笑顔だった。


「さっきまで機嫌悪かったくせに…」

「あ?そりゃテメェがあんな所で平気で飛び出すからだろ」

頬に、瞼に、鼻先に、羽のような口付けを受けて榎本がくすぐったそうに身をよじった。
気が逸れた隙を狙って榎本をソファに押し倒した土方の唇が、形のいい耳を軽く噛んで細い首筋を辿る。
小さく息を詰めた気配に土方が顔を離し目を細めて耐えている榎本をじっと見上げると、
視線に気付いた榎本は天井から目を移し、くしゃりと柔い黒髪を撫でた。
一瞬驚きに目を見張った土方だったが、次第に誰が見ても見惚れるだろう甘い甘い笑顔になっていく。
榎本もつられるように笑顔になっていった。近づいてきた笑顔に、腕を伸ばして首に絡ませる。

「でも、もしアレが逆の立場だったら、君も同じ事してたね」

「……まぁな」

「ん…」

ちゅっと軽い音をたてて触れるだけのキス。
一度離れて、今度は深く交わる。深い洋酒の味と、

「――甘い」


交わしたキスは、始まりの合図。
甘い甘い時間を、チョコレート色のアンティーク時計が刻んでいた。









Tutto a posto.
これで、万事OKです。





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いつかに頂いていたリクで何かの事件に巻き込まれる2人です。
巻き込まれたと言うか寧ろ突っ込んだ2人です(笑)
ちょっぴりロマンチ度高めでした。いや、それはいつもか。
お付き合いありがとうございました!




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