文章♭

□ただ、あなたが好きなだけ
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花を、買ってしまった。

今日が特別な日だったわけでも、その花が特段美しかったからでもない。
ただ、その花を見た時に、何かが胸の内に膨れあがり――気がついたら包んでもらっていたのだ。
器用に花を束ねた女店主は柔和に笑って、きっと喜ばれますよ、と言った。



そんなわけで今、私は花束を手に、屋敷の裏庭に立ち尽くしている。
誰かに渡すつもりで買ったわけではなかったが、言われてみれば花束とは基本的に人に贈るものなのだ。一輪だけにすれば良かったなどと考えても遅い。
そして、誰に、と考えるまでもなく、相手は既に決まっているようなものだった。何故なら、その花を見て頭をよぎったのは、彼の顔だったから。

「デイモン? どうしたの、そんなところで」

「! エ、エレナ…」

過剰に驚いてしまった私の態度にエレナは不思議そうな顔をしたが、すぐに私が持っているものに目を向けた。

「まあ、素敵な花束。――これ、ジョットに?」

「えっ? …なぜ、そう思うのです?」

あなたに、かもしれませんよ、と言ってみると、エレナは「それは無いわね」と笑った。

「だってその花を見るあなたの目は、いとしい人を見る目だわ」

彼女のスカートがふわりと可憐に揺れて、私は目を細める。
しかし、そうなのだ。彼女を美しいとは思うけれど、それは恋情ではないのだ。

「……エレナは、なんでもお見通しですね」

「あら、そんなことも無いけれど。でもそうね、女って生き物の大半は、色恋沙汰に敏感なものなのよ」

「そういうものでしょうか」

「そういうものなの」

エレナがふふ、と得意気に笑ってみせるので、私もつられて笑ってしまう。
手の中の花束が、かさりと音をたてて存在を主張した。

「さあ、いってらっしゃい、デイモン。彼、きっと喜ぶわ」



ジョットならいつもの場所にいるわよ、そう言われて向かったのは、前庭に面したテラス。
植木のおかげで良い具合に日射しが遮られ、風が爽やかに通り抜けるそこは、ジョットのお気に入りの場所のひとつだった。

ロッキングチェアに深く腰かけて目を閉じている彼は、眠ってはいないようだった。
その証拠に、足音にゆるりと瞼をあげて、琥珀が私の姿を映した。

「デイモンか」

「はい」

「おまえもこっちに来てみろ。気持ちがいいぞ」

微笑みに導かれ、彼の傍まで。そして、

「プリーモ」

「ん?」

眼前に現れた花に、ジョットは瞳を瞬かせた。

「これは?」

「私から、あなたへ」

余程思いがけない行動だったのだろう。ジョットの驚いた顔を見るのは珍しい。
だが無理もないことだ。何しろ、私自身が自分の行動に驚いているくらいなのだから。

「……今日は、何かの記念日だったか?」

「いいえ、何もありませんよ」

ジョットは私の真意を探るようにじっと目を見ていたが、不意にふっと微笑って手を伸ばした。

「ありがとう、デイモン」

花束を抱えたジョットは、鼻先を近づけて「いい香りだ」と目を細めた。
その様がまるで一枚の絵画のように見えたものだから、私の胸は大きく高鳴った。

色とりどりのチューリップ。
その花弁の鮮やかさが、ジョットにとても似合う。

「早速部屋に飾らせよう」

執務室ではなく、『部屋』――つまり、プライベートな私室に飾るという言葉に、えもいわれぬ喜びを感じる。

ああそうか、私はこの反応を、この表情を見たかったのだ。

立ち上がったジョットの手首を掴んで、彼の頬に口づける。
唇が口角を掠めて、不可思議な疼きが湧きあがった。

「デ、デイモン…っ」

不意を打たれたジョットの、朱に染まった頬。
その愛らしさに、自然と笑みが浮かんでいた。

「プリーモ、後ほど部屋に伺っても?」

「……夜まで待て」

それは『お預け』という名の『お許し』。
どこまでも甘い私の恋人。その甘さが、今だけは心地よいばかりだ。

きっとジョットの私室を彩るチューリップは、私を再び喜ばせるだろう。
貴族という身の上、贈り物をしたり、貰ったりする機会は多かった。けれど、それに嬉しさを感じるのは生まれて初めてだった。

たまには、こういうのも悪くない。
それは、彼を愛しているからこそ。



END





花を何にするかは最初からイメージしてあったのですが、花言葉を絡めるかどうかで随分悩みました。今回はナシの方向で。

うちのエレナさんは、デイモンの一番の理解者で、スペジョを応援し隊。そんな関係を書きたかったお話でした。


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