文章♭
□いとしさの温度
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何もない休日。おだやかに時間が流れる部屋に、年下の恋人――人吉くんと俺の声が交互に響く。
でも、俺の視界に彼はいない。相手を感じるのは、耳と背中だけだ。
「で、それが……って先輩、聞いてます?」
「聞いているよ。きみの背中が温かくて、少しぼうっとしていただけだ」
「それを聞いてないって言うんですよ…」
相手の背に背を預けることが、こんなにも安らぐことだなんて、知らなかった。
彼に顔が見えないのをいいことに、俺はこっそり笑みを零す。
どうしてこの体勢になったのかは、よく思い出せない。記憶に残らないくらいなんだから、多分たまたま、だったんだろう。
恋人の部屋まで来て、何で背中合わせなんだろうって、思わなくもないけれど。
背中から伝わる人吉くんの体温が、心地よくて愛しいんだ。
前で組んでいた手を後ろについて、猫が甘えるみたいに背中を擦り付けた。すると、手に手が重なった。
「先輩。なにかわいいことしてんですか」
「ん、そんなつもりは無かったんだけど。いけなかったかな」
「いけないっていうか…困ります」
「なんだい、それ」
思わず笑ってしまうと、重ねられた手に少し力が入った。
「だからー、……ああもう、わかるでしょう」
「何が?」
本当にわからなくて、首を傾げる。(ああ、彼には見えないんだったっけ)
たぶん、俺も彼の立場だったら、その言葉の意味がわかっただろう。
自分の行動が相手にどんな影響を与えるかなんて、意外とわからないものだ。
「……先輩」
「なんだい、――?」
不意に、背中のぬくもりが無くなった。
バランスを崩しかけた俺を支えるかのように、再び寄り添う体温と、胴にまわされた腕。
急に後ろから抱きしめられ、驚いた俺は人吉くんのなすがまま。
後ろを向かされて唇が重なっても、対した抵抗は出来なかった。
「ん、ふ…」
なんでいきなり。とか思ったけれど。
触れ合う唇が、絡み合う舌が気持ち良くて、思考は奪われていった。
「ふぁ…」
つう、と銀の糸が唇同士を繋いで、ふつりと切れた。それが終わりの合図。
キスが終わっても、すぐにはまともな思考が戻ってこない。
「先輩、かわいい」
人吉くんにもたれかかってぼうっとしている俺の耳に、唇が触れる。勝手に震える身体に、どうやら彼は笑みをこぼしたようだった。
「…こういうことしたくなるから、困るって言ったんですよ」
相変わらず、俺から彼は見えない。でも、背中にくっついた胸から、少し早めの鼓動が伝わってくるから。
「ああ、…気を付けるよ」
そう言いながら、たぶん俺はまた無意識にしてしまうんだろうな、なんて思った。
END
善阿は背中合わせが似合う、と思うのです。
たぶん善吉は「きみの背中が温かくて〜」でもきゅんときていたと思うよ(笑)
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