文章♭
□日常に潜む非日常
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放課後。昼休みに別れた藤が結局教室に戻ってこなかったので、アシタバは保健室に向かっていた。
こんなことは別に珍しくも何ともない。美作が付き合ってられないとばかりにさっさと帰ってしまうのも、もはや慣れたものだ。
「藤くん、帰ろー」
保健室は、しんと静まり返っている。いつもならここで何かしらいらえが返るはずなのに。
「あれ…?」
(いないのかな?)
アシタバが専用スペースを覗き込む、と。
尋ね人は、穏やかに眠っていた。
「わ、」
(綺麗…)
意識の無い状態の藤を見るのは初めてではない。けれど、しっかり観察したことは無かった。(美形というのは直視しにくいものなのだ。)
思わず息をころして近寄る。遠くから見ても近くで見ても、やはり整った顔立ちをしていると、アシタバは思う。
どうも本人にその自覚は無いようだけれど、女の子がこぞって夢中になるのも解る気がする。
蜜色の髪が光を弾き、長い睫毛が白い頬に影を落とす。すっと通った鼻筋には、にきびや雀斑の類が一切見当たらない。
薄く開いた唇は淡く色付き、そこから健やかな寝息がちいさく漏れている。
まじまじと見つめていると、ふと、自分がいけないことをしている気分になった。
保健医は不在(また『出張』しているらしい)で、室内にふたりきりという状況下。
そして誘われるように覗き込んでいたせいか、いつの間にかベッドの縁に手をついて、藤に覆い被さるような体勢になっていた。
「あっ、わ、」
藤が起きていたらこんな大胆なことは出来なかったわけだが、それでもアシタバは、彼が寝ていて良かったと思った。
だってこんな体勢――。
「ん……」
不意に藤の睫毛がふるりと揺れ、潤んだ瞳がアシタバを捉えた。
……アシタバが体勢を整えるより先に。
「アシタバ…?、…なにやってんの?」
(なんてタイミングの悪い!)
出来る限りの俊敏さで体を起こし、直立不動に近い体勢になったのは、無意識のうち。
顔は真っ赤で額に汗。アシタバの頭の中では、色々な言葉が空回りしている。
そんなアシタバを表情を変えずに眺めていた藤が、半身を起こしてにやりと、不敵に笑った。片膝を引き寄せて言うことには。
「アシタバの――スケベ」
やましい気持ちがあったわけではないし、藤には指一本触れていない。それなのに。
あまりの言葉に、身体中がかああっと熱くなった。
「な、な、そんな…っ」
(寝顔見てただけで、スケベって…!)
動揺するアシタバがおかしいらしく、藤はくつくつ笑う。
「…おまえってつくづく、いじり甲斐のあるやつだよな」
「あ! からかったの!?」
安堵と羞恥がない交ぜになって混乱気味な瞳に、悪戯っぽい笑みが映る。
「ふふん、悔しかったらなあ、」
突然腕を引っ張られ、藤と共にベッドに倒れこむ。と同時に、頬に柔らかな感触が押し当てられた。
「これくらいしてみろってんだ」
至近距離で藤が笑う。それだけでもアシタバには眩しくて、今自身に起きたことの理解が遅れた。
「え、あの、藤くんっ。今の…」
「さーな」
固まるアシタバを尻目に、藤はベッドを抜け出そうとした。とっさに捕まえた腕は細くて(アシタバ自身人のことは言えないが)少し驚いた。
「アシタバ?」
油断している藤を元通り引き倒すのは簡単だった。先程と同じような体勢、ひとつ違うのはアシタバがベッドに乗り上がっていることだ。
「…勝ち逃げは、ずるいよ」
同じように頬にしようとして、しかしアシタバは、その少し下、顎のラインに口付けた。
「っ、」
藤がひくりと震えた。どうかしたのかと表情を伺えば、…アシタバはまたも驚かされる羽目になった。
「藤、くん?」
藤の頬は朱に染まり、濡れた瞳がゆらゆら揺れていた。その目元は艶を放ってすらいて、少々目のやり場に困る光景である。
彼は、恥じらっていたのだ。
「…アシタバが、こんな大胆なやつだとは、思わなかった」
大胆。それを言うならその前の藤の行動こそ大胆だったとアシタバは思ったが、口には出さないでおく。
それよりも、先程と全く違う態度のほうが気になった。
「それは…自分からするのはいいんだよ。でもされる方となると、なんか無性にハズくなって…」
要は、受け身に慣れていないということらしい。
「大体、さっきのはちょっとしたイタズラで、」
(なんか、かわいいな)
それは自然に出てきた感想だった。いつも自由奔放で格好良い藤が、キスひとつで赤面してみせる様子は、アシタバの目に妙に可愛らしく映ったのだ。
するともう一度触れてみたくなり、今度は淡く染まった目元に唇を押し付けた。
「ちょ、アシタバ…っ」
頬の赤が色濃くなる。それが嬉しくて、今度はこめかみに。
「こら、話が途中だぞっ」
「ふ、藤くんは、」
聞いているけれど聞いてないふりで、その瞳に問う。
「僕にこうされるのは、嫌?」
鳩が豆鉄砲を食らう。そんな表情でアシタバを見る藤。
アシタバの方も内心は穏やかではない。藤がどう取ったかはわからないが、これは駆け引きではなくお伺い、だ。
「嫌、じゃ……ないけど」
しかし視線を反らして放たれた言葉は、アシタバを舞い上がらせるには十分だった。
「…えへへ、」
「ってこら、調子に乗るな、ばか」
そう言う藤の声はやわらかい。
頬同士を擦り合わせたらアシタバの好きな顔で笑ってくれたので、調子に乗りたくもなるというものだ。
それから保健室が二人きりの空間でなくなるまで、ベッド上のじゃれあいは続いたのだった。
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藤くんに「アシタバのスケベ」って言わせたかったんです…(笑)
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