文章Θ

□白銀のクローバー
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※パラレル。
※生徒真城×保健医高木。








「失礼しまーす」

ガラガラ、と引き戸を開ける。
僕は別に病弱だとかそういうわけではないけど、教室の次によく入り浸ってるのがここだ。

ここ。保健室。

訪問の目当ては治療でもベッドでもなく。

「おー、いらっしゃい」

そこにいる、保健の先生。




白銀のクローバー




きっかけは忘れもしない、あれはゴールデンウィーク明けの夏日のことだった。

密かに漫画家を目指している僕は、絵の練習に夢中になって夜更かしをすることがたびたびあった。
(自覚はあるのだが、中学からの悪習みたいなもので、気が付くとやってしまっている、のである。)
それでも学校生活は普通に送っていたのだけれど、その日は運悪く体育があり、しかも炎天下での陸上競技だった。
流石に次の授業では体調不良を訴えて、先生が保健委員を呼ぶのを断って保健室に向かった。

保健室のドアには『職員室』のプレートが掛かっていたけど、鍵は開いていたからすぐに戻ってくるんだろう、と考えて中に入る。
とりあえず記名して熱を計って、―――…

気が付いたらベッドに横になっていた。

「あ、気がついたか? 気分はどうだ?」

ベッドを囲うカーテンからひょこっと顔を出したのは、この部屋の主、つまり保健医。確か、

「高木、先生…?」

「お、名前覚えててくれたんだな。…ああ、そのままでいいよ」

体を起こそうとしたら、高木先生にやんわり止められた。
目線だけで動きを追っていると、すぐそばに来た先生が、そっと額に触れた。

「うん、とりあえず熱は出てねーみたいだな」

離れていく手のひらが、何故だか名残惜しく思えて、僕は内心自分の思考に驚いていた。
寝起きだからと言い訳してみても、手のひらの優しい感触はまだ額に残っていて、でも相手は(顔と名前は知ってたとはいえ)初対面の男だぞ?、と水掛け論を展開する始末。
しかし所詮寝起き頭なので、高木先生が話しだすのと同時にあっさり放棄されたのである。

「休み時間に君の友達が来てな。1組は前の時間体育だったって言うから熱中症を心配したんだけど、症状は出てねーみたいだし、どうやら寝不足が原因みたいだな」

それには思い当たる節がありすぎるので、何も言えなかった。
若干顔を背けた僕を見て高木先生が苦笑したのがわかったから、ああ小言を言われるんだろうなあと身構えた、のだけれど。

「ま、高校生のうちはいろいろあるよな。でもほどほどにな?」

拍子抜けしてしまった。良い意味での予想外。
そのあとに続いた『体を壊したら元も子もないぞ』は保健医らしい言葉だったが、それも押し付けがましくなくて、素直に聞けた。

「でもびっくりした。職員室から戻ってきたら君がテーブルで臥せってて、揺すっても起きねーんだもん」

「す、すいません」

ということは、だ。
あそこで寝てしまった僕は、高木先生にベッドまで運んでもらった、ということになる。
無性に恥ずかしくなるが、高木先生が気にする風もなくにこにこしているので、まあいいか、という気になった。
そんなことより、……駄目だ、まだ眠い。

欠伸を噛みころした僕に気付いて、先生が僕の掛け布団を直して笑う。

「しばらく寝てていいからな」

カーテンの向こうに消えた高木先生は、机に向かって書類仕事を始めたらしい。
その気配を感じながら、僕は再び眠りに落ちていった。


それからどれだけ経ったのだろう。人が近づく気配に目を覚ますと、ベッドの横で高木先生が微笑んでいた。

「最後の授業終わったけど、具合はどう?」

起き上がる。感じていた気持ち悪さだとか怠さだとかは、ほとんど感じなくなっていた。

「良くなった、みたいです」

「そっか、よかった。帰れそうか?」

「はい」

布団を剥いで足を床に下ろす、そこまでして、僕は行動を停止した。自分で自分の思考が信じられないのだが、どうも、僕はまだ高木先生のところにいたいらしい。
ベッドの縁に腰掛けたまま動かない僕に、高木先生が不思議そうな顔をする。

「先生、…あの」

「どうした?」

「もう少し、ここにいてもいいですか?」

高木先生は驚いた顔をした。
それはそうだろう。目の前にいる生徒は今日初めて会話したばかり、動けないほど怠いとかではないし、ましてや仕事だ。
回復した、もしくは休養が必要と判断した生徒は家に帰すのが、保健医の仕事。「何言ってるんだ、帰りなさい」と言われるに違いない。

だけどそんな予想に反して。

「…いいよ」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。
言葉の意味を理解すると、思わず高木先生の顔を振り仰いでしまった。

「え、本当、に?」

少し高い位置にある顔を凝視する僕ににっこり笑って、ただし下校時刻までだからな、という高木先生に、慌てて了承の意を示した。

高木先生はそれから、いろいろ話をしてくれた。この学校には去年赴任したんだとか、一人暮らしで犬を飼ってるんだとか、他愛のないことばかりだったけれど、どれも僕の興味をひいた。
先生は書類の整理をしながら、僕はベッドに寝そべりながらだけど、不思議と距離感は感じない。
もちろん他の生徒や先生が来たときにはちゃんとそっちの対応をしていたし、そのときは僕も寝たふりをした。(途中、クラスメイトが僕の荷物を届けてくれたけど、説明するのが面倒くさくてそれも高木先生に任せてしまった。)

そんな調子だったからか、下校時刻までの時間は妙に短く感じた。

「気を付けて帰れよ」

「はい、ありがとうございました」

「おー、またな、真城くん」

『またな』って。保健医が生徒に言うにはあまり相応しくない気がするけど。
(でも、悪くないかも)
僕はその時確かに、不思議な胸のくすぐったさを覚えていた。





それからというもの、僕は放課後になると保健室に行くようになっていた。
高木先生のところに通ううちに打ち解けて、今では先生に『敬語使わなくてもいいよ』とお許しをいただいたので、気軽に話をしている。(もちろん他の先生がいるときには弁えるけど。)
学校生活の中で、一番楽しいと思えるのが高木先生と過ごす時間だ。
どの部活にも入部しなかったのは家で絵の練習をしたかったからだけど、こんなメリットがあるなんて思いもよらないことだった。

「今日はどうした?」

「高木先生に会いに」

放課後のたびに繰り返されるお決まりの文句も、笑いが混じっている。形だけなのはもうお互いわかりきってるのだ。

「じゃ、どっか座ってて。悪いんだけど、この書類片付けちゃってもいいかな」

「どーぞ」

高木先生は、生徒に丁寧語を使わない。
でもそれが全然嫌味じゃなくて、むしろ近所のお兄さん的な親しみやすさが感じられて安心する。
その整った顔立ちと相まって、主に女生徒を中心に人気がある…のだが、どうも本人には自覚はないみたいだ。

そこら辺にあったキャスター付きの丸椅子を引っ張ってきて、高木先生が仕事をする机の脇に腰を落ち着ける。
――斜め前から見ると、伏せた睫毛の長さがよくわかる。普段は眼鏡をかけてるせいで目立たないけど、だからといって眼鏡が邪魔かというと、そうでもないから不思議だ。
眼鏡はとてもよく似合っているし、でもきっと素顔も綺麗なんだろう。なんてとりとめもなく考えていたら、高木先生がちらりと僕を見て、すまなそうに笑った。

「わりーな真城くん。退屈だろ」

「別に。俺が勝手に来てるんだし。…なあ、高木先生?」

「んー?」

仕事の邪魔かと思って黙っていたのだが、会話する余裕はありそうだし(忘れていたが、高木先生は書き物をしながらでも会話が出来る人なのだった)、気になったことを聞いてみようと思う。

「それ、暑くねーの?」

もう衣替えもとっくに終わって、生徒は皆半袖だ。
でも今目の前にいる高木先生は、長袖の白衣を着込んでいる。

「ああ、これ? 別に暑くはないぞ。この部屋は涼しいし」

確かに、保健室は空調が整っていて、暑さは感じない。
でもなぁ、と白衣をじっと見つめていると、高木先生が苦笑した。

「そんなに暑そうに見える?」

「暑そうっていうか…生徒は衣替えしてんのに、高木先生はそのままなんだなーって」

俺の言葉に、高木先生はきょとんとして。
俄かにいたずらっぽく笑った。

「そっか、外からじゃわかんねーもんな。実は、」

言いながら、白衣をするりと肘まで落とす。
その姿にえもいわれぬ色気を感じて、僕は熱を持ちそうな頬と戦う羽目になった。

「ほら、中のTシャツは半袖なんだ。白衣は制服みたいなもんだからさ、衣替えは中だけ」

「…へぇ、そうなんだ」

元に戻される白衣に、残念なようなほっとしたような…妙な気分になった。
僕の内心の葛藤に気付くはずもなく、高木先生は再び書類と向き合った。

最近の僕はおかしい。男である高木先生相手に、随分無防備なんだな、なんて考えている。おかしい。
答えを見つけてしまったら後戻り出来ない、そう感じつつも思考は止められない。
無防備なのは心を許してもらってる証拠なのか、気にしてないだけなのか、前者だったら嬉しい、なんて。これじゃまるで。

「そう言えば、真城くんって好きな子とかいねーの?」

「え?」

(好きな、……)

唐突に振られた話題。それが奇しくも最後の一押しになってしまったらしい。
僕の中で、何かが音を立てて切れた、そんな気がした。

「俺も高校時代は彼女いたし、もしいるんなら、」

不意に先生の言葉が途切れた。その唇が塞がれたからだ。
……何に?

は、と息が漏れる。高木先生がペンを取り落とす音が聞こえた。
こちらに向けられた瞳は、驚きに彩られている。

「ま、しろくん?」

「……ぁ」

至近距離で見る高木先生のレンズ越しの瞳に、僕はようやく我に返った。恐ろしいのは、それまでの行動が全て無意識下で行われていたということだ。
そして、無意識であろうとなかろうと、やらかしてしまった事実は消えない。

僕は、高木先生にキス、してしまったのだ。

「ッ、…ごめん!」

とりあえずそれだけ叫んで、保健室から飛び出した。情けないことに、扉を閉めたらもうそれ以上動けず、その場にずるずる座り込んでしまった。
こんな形で自覚するなんて、最悪だ。


――僕、高木先生が、好きなんだ。






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続きそうな感じですね。←



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