文章Θ

□片恋
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※黒→黄。
※黄瀬に彼女がいます。






その日はたまたま、楽しみにしていた新刊の発売日で。ボクは散歩がてら、駅前の本屋まで足を伸ばしていた。
目当ての本と、その他数冊分の代金を支払い、帰途につく。

(あとはそうだな、コンビニで飲み物でも買って、部屋でゆっくり読書に耽りましょうか…)

そんなことを考えながら店を出て、幾らも歩かないうちに。
進行方向から見覚えのある人影が歩いてくるのが見えた。

それが誰なのか判ると、ボクは無意識のうちに足を止めていた。
ボクの知らない―いや、話には聞いていた―女性を連れた、遠くからでも目立つ容姿を持つ彼。

「…黄瀬君」

彼が歩を刻むたび、柔らかそうな髪がさらさらと風に靡く。

『今度付き合うことになった女の子は、すごく可愛い子なんだ』と言って頬を染めた彼を思い出す。
遠いからはっきりとはわからないが、確かに、今彼の隣にいる彼女は、ボクから見ても可愛いと思える子だった。
黄瀬君が何か言うたびにその長い髪を揺らして、幸せそうな笑みを浮かべている。
そして彼女のそんな仕草を見て、彼も頬を綻ばせていた。

(……、)

立ち尽くすボクに気付かないまま、彼らはだんだん近付いてくる。
話し声は聞こえない。けれど、ぼやけていた輪郭がはっきりして、細かい表情が見えるようになって。
ボクは愕然とした。

(あんな顔、するんだ…)

それは、ボクが見たことのない笑顔だった。
謂わば、恋人にだけ見せる顔、なのだろう。ボクに見せるそれとは違う、あまく包みこむような笑みだった。

それがあの彼女にだけ向けられているということ、そしてボクに向けてはもらえないということが、無性に悔しく思えた。

端から見た二人は、正にお似合いのカップル、で。
だけどそれよりも強く、ボクの知らない笑顔が色濃く胸に焼き付いていた。


――どうしてボクじゃないんだろう、なんてことをたまに考える。
答えはいつだって簡単に出てくるのだけれど、それでも、ボクは彼を諦められずにいる。
恋心など忘れて、近しい友人としてだけ付き合おうと何度も決めた。それでも、彼の笑顔を見てしまえば、そんな決意は一瞬で崩れ去る。やっぱりこの手で黄瀬君を抱きしめたいと望んでしまう。
それが叶わぬ想いと知りながら――。


二人はもうそこまで来ている。距離があるせいか、黄瀬君がボクに気付く気配はない。
楽しそうな笑い声がざくりと突き刺さって痛い。けれど、まるでボクと彼の間に透明の膜があるかのように、感覚が曖昧だ。

(だってこんなに近くにいるのに、声すら交わせないなんて、黄瀬君がボクを呼んでくれないなんて、)

それでも。彼の笑顔を憎むなんて、出来やしないのだ。


ボクの心の中には、彼が誰の隣にいようと笑顔でいることを願う自分と、傷付けて泣かせてでも手に入れたいと望む自分が同居してしまっている。
矛盾しているけれど、どちらも真実。その根源は【ボクの隣で笑っていてほしい】という想いだから。

難儀な道を選んだものだと、自分でもつくづく思う。もっと望みのある相手を好きになれば、こんな気持ちも知らずに済んだのに。
どうして、どうして彼じゃなきゃ駄目なんだろうか。

(――ああ。黄瀬君、黄瀬君。すき、…すきなのに……)

遠くで擦れ違うその一瞬、伸びそうになる手を必死に抑えた――。



彼らの姿が視界から消えて暫くして、ようやくボクの足は前に進んだ。まるで呪縛から解き放たれたかのように。
いつの間にか息も詰めていたようで、口から大きく溜息が洩れた。
おもむろに振り返っても、もうあの二人の姿はない。
それに一抹の寂しさを覚えて、自嘲の笑みを浮かべた。

(姿を見たところで、胸が痛くて息苦しいだけなのに、それでも見ていたいと願うのか――)

いつまで、いつまでこの関係を続けられるだろうか。
いつか来る、この恋が終結する日までは、胸に抱いた想いを暖めていたいと思う。
それくらいは、許されるでしょう?

「――…… 」

小さな呟きは響くことなく、陽の傾きかけた空に消えていった。




END




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元ネタは奥/華/子さんの『恋』。(この曲だいすきです)
でもなんかズレた話になりました。



Blue

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