―Novel―
□月の出る夜で剣を振るう―プロローグ―
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プロローグ
首筋に、生暖かい液体が流れた。それは首から洋服へと流れ、白い布にまるで美しい紅い花が咲くように広がった。どろりとした液体が、容赦なく〈それ〉の身体に絡まる。
――気持ち悪い……。
拭取りたいのに、台に固定されて動かすことのできない……否、動かなくなった手足に〈それ〉は苛立ちを覚えた。口から流れる血は〈それ〉の身体をくすぐる様に流れ続ける。
――早く、終わらせろ!
ぴくりとも動かない植物のような身体を、それでも必死に動かしながら〈それ〉は大声で叫んだ。つもりだった。
「煩いぞ、餓鬼」
……その声は不意に、だった。
誰の気配がするわけでもなかったその部屋に、しゃがれた低い声が響いた。と、同時に声の主の殺気が〈それ〉の頬を舐める。〈それ〉の中に眠っていた恐怖心が、じわじわと染み出してくる。心臓が暴れだし。息が乱れていく。気がする。
「死人め。己が望んだことに耐えられないとは……本当はここでめちゃくちゃにして、泥に変えてやりたいくらいなのに」
吐き捨てられた言葉の弾丸に打ち抜かれ〈それ〉は嫌悪の情を募らせた。悔しさが血と一緒に込みあがってくる。そう、言われた通りなのだ。
これを望んだのは自分。また“生きる”のが〈それ〉の目的だから。
「まぁ、私もココでは鬼ではない。お前との約束は守るつもりだ、それに……。……お前も目的があるから、こんなことをしてまで生きようとしている……」
夢か。錯覚か。あのときの映像が〈それ〉の瞼に鮮明に映し出された。〈それ〉の心がサクサク抉られる。否、心臓を素手で握られたような衝撃と驚きに近い。
――そうだ、目的をッ……。
〈それ〉は心中で深く頷いた。
早く、この地獄から出て――
〈それ〉の意識はそこで途切れた。まるで眠りにつくかのように、静かに。
〈それ〉が意識を手放したのを感じると、声の主は小さく喉を鳴らした。すると、その音に反応するかのようにゆっくりと、空気が渦巻いた。〈それ〉を囲んでいた蝋燭が、まるで自我を持つかのように独りでに火を灯し、さらにはいくつもの魔法陣が浮かび上がり、怪しく、しかし美しい月明かりのような冷めた輝きを放ち――
しゃがれた声が、響いた。微かに震え、どこか悲しそうに……いや、笑って楽しそうにしていたのかもしれない。
「さぁ、本番はこれからだ……」